2022年5月9日月曜日

この路上はどんな場所かと問われれば。

 路上スレスレの光景を写真に撮るのが楽しくなって

撮っては眺め、撮っては眺め、トリミングを変えて、また眺めしています。

最近は、自然の景色、花、寺社仏閣などを多く撮る傾向にあったのですが

そう言えば、ちょっと前、よく街中を散歩していた頃は

裏路地をよく歩いていました。

そして怪しまれないように、控えめに写真を撮っていました。


裏路地が好きなのは、大通りにはない、生活の体温のようなものを感じるから。

ゴチャゴチャしていて、無造作にいろんなものが置かれていて

誰かに見せるための正面にはない、裏らしいゆるやかさがあります。


裏路地に限りませんが、路上は、いろんな人の活動空間が交錯する場所です。

たばこ屋さんは、タバコを売るためにありますが

タバコ屋さんの店先の路上は、タバコを売るためにあるわけではなく

そのお向かいさんのお菓子屋さんの店先でもあり

その隣の料亭を一歩出たところでもあったりします。


僕にとって路上の面白さは、こういうところにもあります。

つまり、路上は、ここはどんな場所なのかと、一度考えはじめると

答えを出すのがとても難しい、多様な見え方、意味を持つ場所だという点です。


タバコ屋から見た路上と、料亭から見た路上は、それぞれ

同じ路上であっても少しだけ、もしかしたらかなり見え方、意味合いが違います。

そこに、タバコ屋の主人でも料亭の女将でもない僕がふらりとやってきて

その路上にとって赤の他人である僕が眺める路上は、また別の意味を持ちます。

僕が料亭に入れば、料亭の女将と、その料亭についての意味を共有できますが

路上の意味は、それぞれの人に少しずつ違って現れていて

その場所の意味をひとつに定めることができず、共有も困難です。


路上は、そこを囲み、そこに関わる多様な人の眼差しの数だけ、その意味を持ち

それは時と共に変わっていくものでもあり

であるならば、路上の意味は、考えても仕方ないのではなく

いつも、どんな解釈にも開かれて、ひっそりとそこにある

と考えるのが、僕にはいちばんしっくりきます。

そして、そんな目で路上を見つめると、とてもほっこりした気持ちになります。




0 件のコメント:

コメントを投稿