2022年5月26日木曜日

大きく見せるでもなく、小さく見せるでもなく。

 他者と向き合う時に、なじみがなければ警戒し、ちょっとほぐれてくると

安心はするけれども、むずむずと頭をもたげるやっかいな心の動きがあります。

自分を少しだけ大きく見せたり、あえて小さく見せたり。

虚栄心と言われる心の動きです。


あれ、小さく見せるのは謙遜では、と思わなくもないですが

そうやって、相手を立てたり、自分を下げたりしている背後によくある心理は

小さく見せることで、それよりは少し大きく見える効果を狙っていたり

大きく見せて、実際はそうでもないという傷つき方をするくらいなら

小さく見せて、自分を守っていたり。


大きく見せる理由は、それよりはおそらくずっと分かりやすくて

相手より優位に立ちたかったり、自分の価値を認めてほしかったり、認めさせたかったり

または、自分で自分の価値を信じたかったり。


よくよく考えてみれば、他者に馴染む前に警戒する心理も

自分の価値が損なわれるのを防ぎたいという点で、根っこは同じようです。


そうやって、互いに自分の価値を守りながら向き合っている限りは

関わりが深まることはなく、表層的、形式的、儀礼的な関わりに留まるでしょう。

それは、なんだか疲れますし、せっかく他者と関わっても

何の価値も生み出さないように思います。


率直に思ったことを伝え合い、受け止め合い、刺激を受けて

新しい価値を生み出すこと、それまでの自分から一皮剥けること

それが他者と出会う価値だと思うのですが

大きく見せたり、小さく見せたりしている限りは、そうはなりそうもありません。


確かに、率直に思いを伝え合うと、衝突が生まれて、優劣が決まったり

どちからかが、または両方が傷ついたりすることがあるので

そうなるくらいなら、儀礼的に関わろうというのも知恵かもしれません。

でも、それだけでいいんでしょうか。

現代のような、いろんなことが立ち行かなくなっている時代では

儀礼の中で深まらない堂々巡りをしていても

または、剥き出しの衝突を繰り返しても

いよいよ立ち行かなくなってしまいます。


大きくも見せず、小さくも見せず、自分を押し付けず

互いに不完全な途中経過な存在であるということを認め合いながら

同じ地面に立って、関わり、思いを受け止め合い、

新たな価値を紡ぐことこそが、今、必要だと思います。



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