2022年5月17日火曜日

街の思い出。

今、福井駅前では大規模な再開発が進行しています。

古びた建物群は取り壊され、空が広く見えています。

そのうち、この広い空に向かって、

新しいワクワクするような建物群が並び立つのでしょう。


街の景色をぼーっと見ていると、これまで自分が暮らしたことがある街や

訪れたことのある街の景色が、重ねあわさるように思い出されます。


京都の河原町通の賑わいに初めて「巻き込まれた」時、僕は18歳でした。

あまりの人の多さに圧倒され、どっちに進んでいいのかもわからなくなり

早くここを抜け出したい、と思ったものです。


大阪で働き始めた時、まだ日が沈み切る前から一杯飲み屋さんは賑わっていて

赤い顔した人たちが大声でおしゃべりしているのを

まだ仕事が終わっていない僕は羨ましげに見つめて通り過ぎました。


東京の通勤電車は辛かった。。。鞄から手を離しても、すし詰めの電車の中では

鞄が床に落ちないって、本当でした。どこに行っても人が多過ぎて

自分がここで暮らしているという実感は、いつまで経っても希薄で

ふわふわとお客さんのように過ごしていました。


初めて訪れた外国であるエジプトでは、ピラミッドよりも、砂漠よりも

市場の混沌としたエネルギーに魅了されました。

客引き?たちが次々に声をかけてきて、自分の店に引き入れようとします。

そう言えば、あってすぐに打ち解けお土産物屋のおじさんには

いきなり店番を頼まれたこともありました。


スペインでは、恐る恐る覗き込んだバル(飲み屋さん)で、地元の人の注文するのを

見よう見まねしてワインとおつまみを頼み、出てきた大量の小エビの揚げ物に驚き

そのうち慣れてきてバルを梯子し、朝はカフェでエスプレッソ、という毎日で。


モロッコでは、迷路のような、というか迷路そのものの旧市街を彷徨い

広場で毎夜くりひろげられるお祭り騒ぎの中、屋台を食べ歩き

そのうち、貧乏旅行者には高過ぎる絨毯を買わされたり、お金を盗られたり

その盗人を探すのに地元の人が協力してくれたり(見つからなかったけれど)。


長く暮らした京都でも6年、旅した外国の街は長くても1週間の滞在ですから

そんなに深い関わりはありませんが、どこも、やたらリアルに思い出します。

思い出すのは景色より、人の表情ですね。声は思い出さないけれど笑顔は思い出します。


どこの街にも、今こうしている間にも、いろんな人が、いろんな風に

自分の暮らしを暮らしているんだな、と当たり前のことを思います。

僕にとって、今日、たまたま見かけた福井駅前の夕暮れだって

別の暮らしを暮らしている人からは、きっと違って見えるんだろうな

ということも思いました。


世界のありようは、人の数だけある、いやいや、もっと多いですね。

僕にとっての福井の街だって、いろんな見え方をするわけですから。

誰といつ、何をしている時に、その街にいるかによって

街はまた違ったありようをするわけですから。




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