2016年10月29日土曜日

論理が活力を開く時、閉ざす時

ファシリテーションは
直感にたよったイメージ優先のものでは
場が安定しない。

直感もイメージも大事だけれど
その背後に、大きな論理の展開がないと
話が飛躍したり断絶したりで
参加者はついていけない。
だから、場の求心力は失われる。

ファシリテーションは
大きくて太い論理に支えられていること。
しかし、細かい論理に行き過ぎないこと。

細かい論理によって
緻密に場を組み立てようとすると
参加者は緊張したり
不自由感を持つようになって
しなやかな発想も発言も失われる。

論理的であることによって
場の活力を開くことができるけれど
論理的であることが過ぎてしまうと
場の活力は閉ざされる。

大きくて太い論理に支えられた場の中で
直感とイメージを自在に遊ばせる。

2016年10月26日水曜日

何とかするのか、何とかなるのか

何とかする、と
何とかなる、の間には
だいぶ距離がある。違いがある。

追い詰められた時
何とかする、と思うと
いろんなものがこわばる。
視野が狭くなり、思考がかたくなになり
背負いこんだような態度は人を寄せ付けない。

なんとかなる、と思うと
いろんなものがやわらかくなる。
ゆったりと広く眺め、感じ、察知する。
アンテナがとらえたものがヒントをくれる。
次への展開が生まれる。
力が抜けて泰然さは人を安心させる。
安心した人がのびのびと動く。

何とかする、は自分を信じている。
何とかなる、は人が集う場を信じている。

ひとりでできることなど
超人であっても、知れている。

世界と宇宙とカンジーとジョブズ

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、
それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、
世界によって自分が変えられないようにするためである。」
マハトマ・ガンジー。

そうか、することのほとんどは無意味なのか。。。
そうかもしれない。
宇宙の歴史の中で、個人がすることなど
何の影響もない。それをしてもしなくても
宇宙は長い営みを営んでいく。

世界を変えてやる!と意気込むのも
素敵なことだけど、微力さを忘れては滑稽だ。

世界を変えると言わず
「宇宙に衝撃を与える」と語った
スティーブ・ジョブズは、偉大だった。
視界に収めるものの大きさが
その人の力を支えるのだろう。

ガンジーが偉大なのは
ジョブズのような破格の力を持った人に対してではなく
ごくありふれた人に対して
何かをすることの意味を深く伝えたことだろう。

ごくありふれた人が
何かをしても、世界にとっては何でもない。
だからと言って、冷笑し、諦念に沈むことを
良しとしてはならない。

何もしなければ
あなたが世界によって変えられてしまうから。
かけがえのないあなたの命が
誰かの物語に沿って生きることになってしまうから。

少なくとも、自分の命は
自分で燃やそう。

現代に生きていると、特に
自分で考え、自分で選択するということが
困難だ。

自分で考えているつもりで、選択しているつもりで
メディアにあふれる情報刺激に反応しているだけ
だったりするから。
いつの間にか、選択させられているから。

何をすべきなのか
ありとあらゆる方向から
様々な声が囁きかける。
そんな現代だから。

何をすべきでないのかを
まず考えることを、しよう。
世界によって自分を変えられないために。



2016年10月25日火曜日

本当に考えるべきことが、どうでもいいことに埋没する

多くの人にとって
意見を言いやすいこと
判断を下しやすく思えること
というのは、えてして
考える価値がさほど高くないこと。

考えるに越したことはないけれど
そんなに労力を費やしてまで
ましてや、対立やすれ違いのストレスに
耐えてまで考えるほどのことでもない。

でも、考えやすいから考えてしまう。
意見を言って、他の意見に優位したり
誰かの考えの欠点を指摘したりする
自己承認欲求や攻撃欲求を満たせるから
考えてしまう。

そうやって
私たちの時間も能力も
たいして考える価値のないことを考え
心労を溜め込んでいくことに費やされる。

そうやって
本当に考えるべきことを
考える時間と能力を失っていく。

本当に考えるべきことが
どうでもいいことに埋没していく。

本当に考えるべきことは
答えがわからないから、考えにくくて
そう簡単に判断が下せない。
何が正しいのかわからない。

だから、目を背けられる。
目を背けている罪悪感は
言葉にはならなくても、少しずつ溜まっていく。
だから、ストレス解消のように
考えなくてもいいことを考えて
他者と意見を交えて、エゴイスティックな欲求を満たす。
または、満たすことに失敗してさらにストレスを溜め
別の吐け口を探す。
決して、考えるべきことを考える方向には向かわずに。

2016年10月24日月曜日

気合を入れて脱力する

何かを見ようと一生懸命になると
何かを見失い

得たい結果を願いすぎると
頑なになってしまう。

一生懸命に願うことは大事だけど
ファシリテーターという立ち位置は
ちょっと違う願い方が必要なのだろう。

意識的に脱力して
気合を入れて脱力して
物事にむける眼差しをゆるめて
やわらかく眼差して
物事のいろんな可能性を見出す時
話しあいの場が開けてくる。

場に力が宿ることを
脱力しながら願う。