2022年6月14日火曜日

今日の昼食の味わいを決めたのは。

遠く高くを目指して行われる営みは説得力や求心力を持つのだと
手間暇かけて作られた天ぷらそばを食べながら思いました。

地味でしたが、とても清潔で落ち着いた雰囲気のお店でした。
新聞や雑誌が置いてあって、写真が飾ってあって
片付け前の食器がカウンターに仮置きされていて
という、どこにでもあるような光景が、なぜかとても落ち着いて見えました。

店主は、最小限のことしか話さないような接客でした。
メニューの選択肢はとても少なく、そっけない表記でした。

さほどお客さんがいるわけではありませんでしたが
僕の注文した蕎麦が出てくるまで、ずいぶんと待ちました。
お腹が空いていたはずなのに、待っている時間がちっとも苦痛ではありませんでした。
カウンターの向こうで蕎麦を作っている様子がチラチラ目に入るのですが
店主の調理する姿が、心が鎮まった熟練の職人のように見えました。
その姿を目にして待っていると、心が整ってくるように思えました。

ついに運ばれてきた蕎麦は、見た目も、味も、抜群でした。
手間暇かけて作られた蕎麦を、手間暇かけて(僕はもともと、非常に早食いです)
じっくり味わいながらいただきました。

この蕎麦を作る店主の目指しているところ、心がけているところが
チェーン展開している店では、そう易々と真似できない高みにあることが
すぐにわかりました。

どんな仕事でも、遠く高くを目指して営むこと
それこそが一番大事なんだと、感じさせてくれたお昼のひと時でした。



2022年6月13日月曜日

少数派に見えて実は。

 まわりを見渡すと、自分の意見が少数派であることになんとなく気づき

意見を表明しずらいような気持ちになることがあります。

あえて少数派であることを露見させて好奇の(または嫌悪の)目を集めるよりは

黙って状況の推移を見守ろうという判断になりがちです。


これは何も、僕に限ったことではなく、

多くの人に見られがちな心の動きではないでしょうか。

つまり、状況を見て、自分の意見を表明することを踏みとどまっている人は

実は結構、多いのではないか、ということです。


直接の話しあいにおける合意の方向性にせよ、

社会の雰囲気(いわゆる世論といわれるもの)にせよ

意志を表明した人たちの声が基調になって形作られていきます。

それは、当然、そうなるしかないのですが、その背後で表明されていない

いわゆるサイレントマジョリティな意見が、かなりありえるとしたら

そのような合意形成のあり方は、

そこに集う人の実態を反映していないということになります。


会議では、声の大きい人の意見が通りやすい、とよく言われますが

それは、いったん声を大にしてはっきりとした意見が投げ込まれると

それに追従する意見は言いやすくなり、それに反する意見は言いにくくなる

という心の動きによるのでしょう。

であれば、早い段階で、大きな声ではっきり意見を言うと通りやすくなる

と言えるかもしれません。

その他の意見を持つ人たちは、自分が少数派だと思い込んでしまって

意見の表明を控えてしまうので、声の大きい人の意見が主旋律になりやすいですから。


少数派に思えたら、実は、同じように自分が少数派だと思い込んでいる人が

思いのほか多数存在するのではないかと冷静になって

自分の意見を場に投げ入れてみるのは、話しあいを有意義にするにあたって

とても大切な姿勢であるように思います。


その投げ込み方が、そうでない意見を否定してかかるようなものであれば

不毛な論争になりますが、話しあいとは、不完全な視点を持つもの同士が集ってするものだ

という地点から、やんわりと投げ込みあうことで

それぞれの意見の角が取れるだけでなく、つながりやすさ、融合しやすさが増し

AかBか、という競合ではなく、AとBからCを生み出す

という創造へと道がひらけていくはずだと思います。




2022年6月12日日曜日

多すぎる情報源に乱される。

 筋トレしていたり、ランニングしていたりする時は

その瞬間にしていることに集中しやすいのですが

他の時は、いろいろ気が散っているなぁと、あらためて自分の精神状態を思います。

こうやって、文章を綴っていても、パソコンの画面からは

さまざまな情報が飛び込んできますし、目の前にはスマホもありますから

余計に情報、刺激は多いです。


情報源が多いというだけでなく、保持している情報が多くて、なおかつランダムだと

頭の中が常時混線状態になる、という恐れもあります。

実際、自分の脳内がそんな状態になって、

集中力を保ったり、回復したりするのが大変だと感じることも多々あります。


もし自分の脳みそがAIのように、瞬時に大量のランダムな情報を解析できるなら

情報量の多さは、判断の正確さや、もしかしたら創造性にもつながるかもしれませんが

自分の脳みその状態を観察する限り、そうではないようです。


おそらく、理想状態は、絞り込まれた目的の実現に対して

必要な情報を集め、随時、体系化して整理していき

時折、気分転換のように、ランダムな、畑違いの情報の海で遊ぶ

ようなものではないかと思います。


使いこなせないくらいなら、振り回され、乱されるくらいなら

情報は、今よりずっと少なくて良いのではないかと思います。


膨大な情報に触れる機会に溢れていて

かえって生産性、創造性が損なわれているのではないか

もっともっと、情報源を狭く絞り込み、触れる情報を減らし

その分、落ち着いて、深く、思索する、そんな方向を目指すべきかもしれないと

今は、考えています。


ガチャガチャで不動明王のフィギュアを手に入れたのですが

不動明王が、心の迷い、煩悩を取り除く存在だと知ったので

こんなふうに思考が動いたのかもしれません。

それは、余計な情報から得られたインスピレーションなわけですが。。。