家の裏の田んぼから、かしましい蛙の鳴き声が響いてきます。
お昼は気にならないから、夕方から鳴き始めているのでしょうか。
これだけの音量が響くということは、それだけの数のカエルがそこにいるというわけで
どちらかというとカエルが苦手な僕は、蛙の集団を想像するとゾッとします。
でも、蛙の鳴き声は不思議と落ち着きます。
さっきまで主旋律を奏でていた、すぐ近くから聞こえた野太い鳴き声は、今は納まり
かわって、やや遠くからもう少し繊細な鳴き声が響いています。
これは蛙の種類が違うのか、それとも距離の違いがなせるわざか、定かではありません。
でも、こうやってカエルの声が自然に響いてくる環境で
季節の移り変わりを感じることができるのは、幸せなことだと思います。
都会に住んでいた頃、あれもこれも身近にあって、便利の極みのような環境でしたが
いつも人工的な音が空間を占めていて、自然の音が聞こえることは稀でした。
都会は決してコンクリートジャングルではありません。
公園の緑の豊かさや広大さは、むしろ都会の方が充実しているかもしれないとさえ思います。
ちょっと足を伸ばせば、広大な公園で緑に囲まれることができたことを覚えています。
僕の都会暮らしの記憶に欠けているのは「自然の音」です。
鳥やセミやカエルの鳴き声が、あまり記憶にありません。
もちろん聞こえてはいたのでしょうけれど
その他の人工的な音に圧倒されて記憶が薄れてしまっています。
今こうやって、自室でパソコンに向かっていて、聞こえてくる音は
扇風機の音、それからカエルの鳴き声、それだけです。
もちろん車が走る道路は近くにありますが
特に夜になってしまえば交通量は都会の比ではありません。
音の記憶は、文字通り深い余韻を残すように思います。
ただカエルの鳴き声だけが聞こえる今、ふと
若い頃に訪れたエジプトで、夜のナイル川のほとりで
無音の暗闇につつまれた対岸を眺めていたことを思い出しました。
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