2022年6月3日金曜日

音の記憶。

 家の裏の田んぼから、かしましい蛙の鳴き声が響いてきます。

お昼は気にならないから、夕方から鳴き始めているのでしょうか。

これだけの音量が響くということは、それだけの数のカエルがそこにいるというわけで

どちらかというとカエルが苦手な僕は、蛙の集団を想像するとゾッとします。

でも、蛙の鳴き声は不思議と落ち着きます。

さっきまで主旋律を奏でていた、すぐ近くから聞こえた野太い鳴き声は、今は納まり

かわって、やや遠くからもう少し繊細な鳴き声が響いています。

これは蛙の種類が違うのか、それとも距離の違いがなせるわざか、定かではありません。

でも、こうやってカエルの声が自然に響いてくる環境で

季節の移り変わりを感じることができるのは、幸せなことだと思います。


都会に住んでいた頃、あれもこれも身近にあって、便利の極みのような環境でしたが

いつも人工的な音が空間を占めていて、自然の音が聞こえることは稀でした。

都会は決してコンクリートジャングルではありません。

公園の緑の豊かさや広大さは、むしろ都会の方が充実しているかもしれないとさえ思います。

ちょっと足を伸ばせば、広大な公園で緑に囲まれることができたことを覚えています。

僕の都会暮らしの記憶に欠けているのは「自然の音」です。

鳥やセミやカエルの鳴き声が、あまり記憶にありません。

もちろん聞こえてはいたのでしょうけれど

その他の人工的な音に圧倒されて記憶が薄れてしまっています。


今こうやって、自室でパソコンに向かっていて、聞こえてくる音は

扇風機の音、それからカエルの鳴き声、それだけです。

もちろん車が走る道路は近くにありますが

特に夜になってしまえば交通量は都会の比ではありません。


音の記憶は、文字通り深い余韻を残すように思います。

ただカエルの鳴き声だけが聞こえる今、ふと

若い頃に訪れたエジプトで、夜のナイル川のほとりで

無音の暗闇につつまれた対岸を眺めていたことを思い出しました。



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