勉強であっても、スポーツであっても
わかるという感覚は、できた後にこそ実感できるものなんだなと、改めて思います。
本を読んでいる時、説明を聞いている時にだって、わかった、と感じます。
だからこそ前に進めるのですが、しかし、わかったからといって
すぐに体現できるわけでもなく、何度も試行錯誤しながら出来るようになるものです。
そうして出来るようになると、初めに「わかった」と思っていた自分の感覚が
いかに曖昧でいい加減なものだったかがわかります。
説明を聞いている時の「わかった」感は、本当に雑な感覚で(あくまでも僕の場合)
自分のそれまでの経験の範囲でわかる範囲をわかっているに過ぎません。
できるようになると、できたという感覚だけでなく、そこに至る試行錯誤の経験の分も
自分のわかる範囲が広がっていて、それで初めて、わかるべきことがわかり
自分がいかにわかっていなかったかがわかる、という構造になっているんだと
何かができるようになるたびに、近頃、ことさらに思うようになりました。
わかったからといって、できるわけではない、とか言われますが
実際のところは、わかっていないからこそ、できないのでしょうし
できるまでは、何がわかっているかは、わからない
ということなのでしょう。
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