2022年6月8日水曜日

偶然の出会いの正体は。

 不思議な日でした。

出先で、ふらりと散歩した商店街に、それはありました。

まるで今日の僕を待っているかのようで、驚きました。

なぜなら、それは、僕が最近、お気に入りの趣味にしていることと

とても関係の深い場所だったからです。


それがそこにあるなんて、僕はまったく知らずに、その地を訪れていましたし

近頃の僕はそれにとても関心が向いていたから、その場所を発見しましたが

少し前の僕ならば、その場所を見かけても、

特に関心を示さずに素通りしたかもしれません。


このところ毎日のようにそれを眺め、触っていたところに

たまたまでかけた先に、それの総本山のような場所があったわけです。

意味のある偶然の一致、シンクロニシティとでも言いましょうか。


不思議な出会いとは、そのようなものかもしれません。

向こうがこちらに近づいてくる場合にせよ、こちらが向こうに近づく場合にせよ

出会いが成立するには、こちらがそれに関心を向け、

価値あるものとして認識する必要があります。

でなければ、素通り、すれ違い、で終わってしまいます。


そう考えると、世界のあらゆる場所で、いろんなものが出逢われるのを待っていて

出会えるかどうかは、こちらのアンテナの開き具合による

ということなのかもしれません。


偶然の出会いだ!と喜ぶということは、出会う対象に価値を認めているからであり

価値を認めるということは、そのことについて日々考えていたからであり

だから、そうでなければ素通りするはずの、ずっとそこにあったものに

「出会い」として遭遇することができるわけですから。


そして多分、出かけてみないと、自分のどんなアンテナがどんな具合に開いているか

わからないのだと思います。

偶然の出会いを果たして初めて、自分のアンテナが

そこに向いていたことを自覚するように思えるのです。



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