不思議な日でした。
出先で、ふらりと散歩した商店街に、それはありました。
まるで今日の僕を待っているかのようで、驚きました。
なぜなら、それは、僕が最近、お気に入りの趣味にしていることと
とても関係の深い場所だったからです。
それがそこにあるなんて、僕はまったく知らずに、その地を訪れていましたし
近頃の僕はそれにとても関心が向いていたから、その場所を発見しましたが
少し前の僕ならば、その場所を見かけても、
特に関心を示さずに素通りしたかもしれません。
このところ毎日のようにそれを眺め、触っていたところに
たまたまでかけた先に、それの総本山のような場所があったわけです。
意味のある偶然の一致、シンクロニシティとでも言いましょうか。
不思議な出会いとは、そのようなものかもしれません。
向こうがこちらに近づいてくる場合にせよ、こちらが向こうに近づく場合にせよ
出会いが成立するには、こちらがそれに関心を向け、
価値あるものとして認識する必要があります。
でなければ、素通り、すれ違い、で終わってしまいます。
そう考えると、世界のあらゆる場所で、いろんなものが出逢われるのを待っていて
出会えるかどうかは、こちらのアンテナの開き具合による
ということなのかもしれません。
偶然の出会いだ!と喜ぶということは、出会う対象に価値を認めているからであり
価値を認めるということは、そのことについて日々考えていたからであり
だから、そうでなければ素通りするはずの、ずっとそこにあったものに
「出会い」として遭遇することができるわけですから。
そして多分、出かけてみないと、自分のどんなアンテナがどんな具合に開いているか
わからないのだと思います。
偶然の出会いを果たして初めて、自分のアンテナが
そこに向いていたことを自覚するように思えるのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿