いつもの環境でいつもの仲間といつものように暮らしを営めば
世界の見え方は、次第に安定したものになり
世界とはこのようなものであると、素朴に信憑するようになるでしょう。
そのようにして形作られた世界の見え方は、長い時間を経ている分
そう簡単には揺るがず、次第に柔軟性を失い、
世界が変わっていることに鈍感になるかもしれません。
安定した世界の中で安心して暮らしていくためにも
世界は自分が見えているのとは違う様相をももち得るのだという
変化に対するしなやかさは常に保つ必要があると思います。
安定した世界が続くということは、決して世界が不変であることを意味せず
世界が変わっても自分自身の重心を保てるようなしなやかさを
自分が備え持つことを意味するはずです。
自分の力が遥かに及ばない世界に対して不変を求めるのはあまりに不遜であり
世界との関係性を常にしなやかに編み直し続ける力を持つことが必要だと思います。
そのようなしなやかさは、おそらく、自分の小ささや、狭さに直面させてくれるような
異質な他者との出会いから育まれるでしょう。
自分が思ったよりも大きくも強くもないと思わせてくれる他者。
これまでの当たり前は、変わり続ける世界における
一部のありようにすぎないと思わせてくれる他者。
そのような他者との邂逅は、自分の世界への眼差しを固定化することを許さず
世界のありようについての洞察力を育んでくれます。
時折、何十億の人間は、大きな生命体を構成する、
ちっぽけな細胞のひとつひとつに過ぎないのかもしれない、とか
宇宙人は、これまで想像されてきたような大きさではなく
とてつもなく小さいかも、もしかしたら、視界に収まりきれないくらい大きいかも、とか
妄想することがあります。
世界は、今、たまたま、自分にとってそう見えているに過ぎない、と言い聞かせながら。
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