あと2年で、 北陸新幹線が敦賀まで開通する予定なので
我が家の近くでは、新幹線の駅と高架の工事が着々と進んでいます。
ほんの数年前まで、広大な農地ばかりだったところに
忽然と、力強いコンクリートの橋脚が立ち並び始めたと思ったら
その上に、線路を載せる橋桁がするすると伸びていきました。
あっという間に景色が変わったような印象です。
駅と高架の周辺は今も以前と変わらず、ほとんどが農地です。
高架の工事が進むすぐ下で、田植え作業が営まれているのは
とても不思議な気分にさせられる光景です。
なぜ不思議な気分になるのか、うまく説明できないのですが
新幹線というのは、時速300キロくらいで走るわけで
そのすぐ下で、数ヶ月をかけて実る稲を育てているという
そのスピードのギャップの隣接具合が、不思議の一番の要因のような気がします。
現代の技術はどこまでも発展し、大勢の人が一斉に高速で
遠距離を移動することを可能にしましたし
田圃ばかりだった光景を、数ヶ月の間に一挙に高架で貫かせることができます。
それでも、稲は1年に1度しか実りませんし
私たちは、あまり早食いをすれば体を壊しますし
サプリメントだけで食事を済ませるならば、やはり心身のどこかに皺寄せがくるでしょう。
技術の力で圧倒的な変化を起こし、利便性を一挙に高めることができる一方で
どうしても変えることができない、生命のリズムのようなものがあります。
それが、隣り合わせになっているのが、我が家のすぐそばにある新幹線の工事現場です。
おそらく、新幹線の駅周辺は、高度な開発がなされ農地は姿を消すと思います。
その時、生命のリズムを遥かに超えた速度と効率と利便性が地表を覆うでしょう。
それはおそらく、新幹線の、そしてその周辺の土地の価値を高めるはずです。
そうであっても、そのような価値の実現の仕方だけが素晴らしいわけではなく
そうではない価値が、それ以前から脈々とこの地にはあったのだということは
忘れずにおきたいと、現在の工事の様子を見ながら思いました。
いや、忘れないだけでなく、自分自身の日常に、新幹線的なものではない
稲作的なリズムのものを必ず残していかなければならないと思います。
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