2022年5月8日日曜日

猫には猫の世界があるわけで。

 子供の頃は、道路に寝転がるなんてことは、当たり前の日常でしたが

いつの間にやらそんなことをするはずもない年になり

いや、もうちょっと若い頃は酔っ払って路面に転がっていたことも

なくはなかったと思いますが。。。

ともかく、街を歩く僕の目は、たいていの場合

路面から170センチ近いところを移動します。

ですから、僕の目が捉える世界とは

地上170センチから見える世界が中心的になります。

ほとんどの場合、というか身長が170センチに達した高校時代以来

ずっとその高さで世界を見てきたわけですから

その世界の見え方が僕の脳に、心身に染み付いています。

その世界の見え方を無意識的な基準として世界を考えます。


ところが、人の身長には高いも低いも多様であって

200センチの世界が当たり前の人もいれば、130センチが当たり前の人もいて

車椅子の人はもっと低くなります。

ベビーカーの幼児はさらに低くなります。

目が不自由な人は身長の高さにかかわらず、目が見える人とは全く違う世界の

捉え方をしているはずです。


身長の高い低い、目が見える見えないだけで切り分けても

世界の見え方、捉え方は、個々人によってバラバラで

そこに経験や文化や価値観が入って来れば

同じ世界に住みつつ、同じ場所に立っていても

かなり違う世界を見ていることになります。


今日、路面スレスレにカメラを構えて写真を撮り

パソコンでモノカラーに加工してみました。

出来上がった写真を見て、あぁ、これは猫が見ている世界かも、と思いました。

マンホールの蓋がすぐ眼下にあり、人間が暮らす家はすべて見上げる位置にあります。

夏は、路面から感じる熱気は、人間が感じるそれとは比較にならないでしょうね。

匂いもそうでしょう。嗅覚が鋭いですから。あ、聴覚もか。


それに何より、僕は人間ですから、人間が創る家も道路も壁も電柱も

それが何かを、意味として理解していますが、猫にとってそれらは

人間がそれに与えている意味とはかなり違う意味を持つものでしょう。

同じ世界に生きていても、猫には猫の世界がある、という当たり前のことを

路上の視点からの写真を見ながら考えました。




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