空を飛べる鳥と、地を走る犬とでは
世界の見え方は全く違っていて、その2者にとって合意可能な
より良い世界のあり方は、ともに紡ぎ出すしかありません。
実際に鳥と犬が話しあうことはないでしょうけれど
人間同士でも、それに近い状況というのはごく普通の日常ではないでしょうか。
空を飛ぶ人間も、地を走り続ける人間もいませんが
職業が違えば、国が違えば、文化が違えば、歴史が違えば
それぞれが見る世界は、それぞれが思う以上に違っているでしょう。
ある国にとっての別のある国に対する軍事行為が「解放」を意味し
軍事行為を受ける側の国にとっては「侵略」を意味することがあるように、です。
「私たちにとって善いとはどういうことか?」
大真面目に語りあうことは、なかなか想像がつきません。
でも、これは、異なる考えが歴史上前例がないくらいに
近接・混在して存在する現代において、とても大切な営みではないかと思います。
日常生活における、さまざまな問題、不便は、どんどん解消されているにもかかわらず
世界のあり方の根底を支える問いは、深く問われることのないまま
消費文化のはるかな背景へと退き続けているように見えます。
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