2022年5月27日金曜日

善いとはどういうことか、問われなければならない。

 空を飛べる鳥と、地を走る犬とでは

世界の見え方は全く違っていて、その2者にとって合意可能な

より良い世界のあり方は、ともに紡ぎ出すしかありません。

実際に鳥と犬が話しあうことはないでしょうけれど

人間同士でも、それに近い状況というのはごく普通の日常ではないでしょうか。


空を飛ぶ人間も、地を走り続ける人間もいませんが

職業が違えば、国が違えば、文化が違えば、歴史が違えば

それぞれが見る世界は、それぞれが思う以上に違っているでしょう。

ある国にとっての別のある国に対する軍事行為が「解放」を意味し

軍事行為を受ける側の国にとっては「侵略」を意味することがあるように、です。


「私たちにとって善いとはどういうことか?」

大真面目に語りあうことは、なかなか想像がつきません。

でも、これは、異なる考えが歴史上前例がないくらいに

近接・混在して存在する現代において、とても大切な営みではないかと思います。


日常生活における、さまざまな問題、不便は、どんどん解消されているにもかかわらず

世界のあり方の根底を支える問いは、深く問われることのないまま

消費文化のはるかな背景へと退き続けているように見えます。



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