今日のお昼ご飯は、いつもより1時間ほど遅く食べました。
空腹具合がさほどでもなかったのと、後の予定が特になかったので
そういう選択をしました。
当たり前のことですが、もし今日もいつもと同じような時間に昼食をとったら
その後どうなっていたかは、誰にもわかりません。
僕が今日の昼食の後に過ごしている時間は
いつもより1時間ほど遅く昼食をとったが故に生まれた結果の積み重ねです。
昼食に、いつ、何を、誰と食べようが、その後の散歩で誰に出会うかとは
まったく無関係に思えますが、よく考えれば、無関係だなんてとても言えません。
昼食をとった後の僕の気分や満腹具合や興味関心の方向は
多かれ少なかれ、昼食の中身に影響されていますし
僕が何時に散歩に出るかは、昼食をいつとったかに大きく影響されます。
どんな気分で散歩するかによって、どこを通るかが決まったり
いつもの道でも、注意の向け方が変わり、人との出会い方も変わります。
気分しだいでは、いつもは声をかけない人に声をかけたり
僕の表情など、いずまい次第では、いつもは声をかけてこない人が
声をかけてきてくれるかもしれません。
そもそも、今日の昼食がいつもより1時間遅くなったのは
僕が昨夜以降どんな過ごし方をしたかに影響されていますし
昨夜の過ごし方は、日中の過ごし方に影響されています。
こうやって遡っていくと、僕が今経験している時間のありようは
僕の日常の、小さな小さな選択の積み重ねの結果だということになります。
今から、僕が立ち上がるか、それともこのまま
パソコンのモニターに向き合い続けるかによって
僕がこれから経験する時間のありようは少しずつ影響を受けて
明日がどんな日になるかは、もしかして、大きく異なるかもしれません。
異世界の入り口は、あらゆるところ、あらゆる瞬間に
扉を開いて待っているようです。
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