2022年5月28日土曜日

ひと呼吸の間だけ、生きていられる。

偶然だと思っていたことが、必然かもしれないと思えたり
偶然と必然の間があいまいになることが、たまにあります。
今日の僕は、1ヶ月半前の偶然が、もしかして必然に近いものだったのかも
と思わされるような経験をしました。


この1ヶ月半ほど、本当にたまたま、朝晩の深呼吸が習慣になっていました。
ただ深く吸って吐いて、だけではなくて
30回深呼吸して、吐き出したらしばらく止めて、また吸ってしばらく止めて
吐き出して、また30回深呼吸、、、を繰り返すメソッドです。

ヴィム・ホフという人が開発したものです。
このオランダ人は、アイスマンの通称で知られ
独自の身体鍛錬法によって、氷風呂に長時間つかり続ける世界記録を持っていたり
短パンで極寒の高山に登ったりしている、超人じみた人です。

なんでこのヴィム・ホフの方法が気になったのか、実践しようとしたのか
今となってはうまく思い出せないのですが
この方法を知った瞬間に、よしやってみよう、と思い立ち
以来、朝晩、続けることに何の苦もなく、ごく自然に淡々と続けています。

体調によるのでしょうか、息を長く止めていられる日と、そうでない日があります。
ヴィム・ホフによれば、長く止めていることが目的ではなく
自分の体を感じ取ることが大事だそうです。

座禅でも自分の呼吸に意識を向けたりするようですし
深呼吸は心身を整えるために、かなり普遍的な方法なのかもしれません。
そういうことは、以前から知っていましたが

偶然が必然に思えたのは、僕の深呼吸の習慣が
父が亡くなった直後から始まっていることです。

ヴィム・ホフの方法をやってみようと思った時に
父のことはまったく意識になかったはずです。
その頃、読んでいた本にたまたまヴィム・ホフが紹介されていただけです。

ただ、今思い返せばその前日、呼吸が止まっていく父の姿が
強く印象に残ったのは間違いないです。

だからかどうかわかりませんが、以来、毎朝晩、深呼吸を繰り返していました。
そして今日、父の四十九日の後、親族の会食で、
親戚のおじさんが、何気なく、本当に何気なく、釈迦の言葉として

「人が生きているのはひと呼吸の間」

という言葉を口にしました。
僕に対してではなく、他の親族との会話の中で発せられた言葉だったのですが

その時、自分が父が逝去した直後から、なぜか自分が
朝晩の深呼吸を続けていることに思い至りました。
この深呼吸の習慣は、父の旅立ちと確かに関係している、そう思いました。

ひと呼吸、ひと呼吸が、自分の生のすべてだと思って丁寧に。
そんな思いが込められた釈迦の言葉だそうです。
父の最後のひと呼吸は、どんな思いでなされたのだろう、あらためて思い返しました。

あと何度、深呼吸ができるかわかりません。
ひとつひとつの呼吸を、自分の生のすべてだと思う、という姿勢を
忘れないように歩もうと思った父の四十九日でした。
合掌。





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