2022年5月24日火曜日

大地に共に働きかけることが失われていいのか。

 人と人は話しあうことで関わりを持てますが

おそらくそれ以上に、ともに心身を使って活動することで

特に何らかの目標に向けて活動することで、より深く関われるはずです。


ITが発達して、遠くの人と瞬時につながれますし、膨大な情報を集めることもできます。

そんな営みが日常の多くを占めるようになって、失われつつあるのは

他者と共に、大きな対象に向かって、心身を使って具体的に働きかける営みです。

例えば、共に田畑を耕し、苗を植え、種を蒔き、除草し、肥料をやり。

このような時、人は深く関わりますし、

大地と大空という大いなる対象に向き合いますので謙虚にもなります。

大地も大空も、人が束になってかかっても、

おいそれとは言うことを聴いてくれませんから。


巨大な重機を使えば、山林を切り開いて景色を一変させることもできます。

それもまた人間の文明が達成した貴重な成果ではあるのでしょう。

でも、それは人間の心身が持つ能力を遥かに超えたところでなされていることは

忘れてはならないと思います。

重機を生み出したのは人間の知性ですが

人間の心身の営みの力と速度では、そのように山林を切り開くことはできません。

人間は自らの心身の力を増幅する装置を発明することで

傲慢にもなり、自然な営為の速度と規模を忘れがちになってもいるように思えます。


人間の心身は、象や鼠や蒲公英や向日葵と同じく、生身の生命です。

生身の生命には、それにふさわしい規模と速度があります。

人間だけがそこから逸脱して平気ではいられないと思います。

今の世界は、その逸脱に満ちているように見えます。

自らが生み出した文明によって、世界を逸脱で満たした結果が

あらゆるところに見られる文明の行き詰まりではないでしょうか。


回帰するために、知性を使うべき時が巡ってきているように思います。



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