近所の田圃では着々と田植えが進んでいます。
我が家の周りには田圃がたくさんありますから
1年を通じて田圃の景色が刻々と変わっていく様子を見続けることができます。
ほんの数ヶ月前まで、田圃は雪に埋まっていました。
雪が解けて土が顔を出し、雑草が生え始め、田圃の色に緑に染まり始めた頃
トラクターが走り、土を耕起し、濃い灰色が面に出てきます。
冬の間、雪の下の地面のそのまた奥底で
じっとエネルギーを溜めていた土が重々しく顔を表しているように見えます。
さらに、そこに水が引き入れられ、田圃の色は空の色を映すようになります。
晴れた日は青い空の色を映し、曇りの日は灰色に、雨の日は雨が水面を叩きます。
そして今、一定の間隔で、まだ幼い稲の苗が植え込まれていきます。
一年の中で最も、田圃が整然とした姿を見せる時期ではないでしょうか。
ここから、苗が稲穂を伸ばし、実をつけ、膨らませ
黄金色に染まりながら頭を垂れていきます。
随分前に、農家の方が
「米作りは一生の間に数十回しか経験できない。いつまで経っても見習いだ」
といった意味のことを話しているを聞いたことがあります。
米が実のは1年に1回だけですから、米作りを40年しても、経験は40回だけ。
例えばサッカーでシュートの練習は何千回、何万回もできますし
試合だって1年に10回、20回とできるでしょう。
その間にサッカーが熟達していきます。
でも、米作りは、生涯で数十回。
しかも同じ条件はおそらく、1度もないでしょう。
毎年少しずつ、時に大きく違う気候条件の中で、1回、また1回と経験を重ねる。
そんなかけがえのない営みの中で生まれたお米をおいしくいただけることは
なんと幸せなことだろうかと、田植えの景色を見ながら思いました。
そして、こうして眺めることができる田植えの景色も
僕の一生の中で、わずか数十回のことなんだと
その景色のかけがえのなさを思いました。
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