世界が、すべて同じ人種、いやそれどころか同じ人格の人で
構成されていたらどうでしょう。
もしかしたら、今起きているような、そして人類がこれまで起こしてきたような
痛ましい惨劇は起きないのでしょうか。
そんな馬鹿げた推測をするのは、人間の衝突は、
互いの違いを受け入れられないことから生じているからです。
違いが受け入れられずに衝突するなら、違いをなくせば衝突も無くなるのではないかと。
しかし、そんな馬鹿げた想像は、すぐに行き詰まります。
実際に同じ人格になれるかどうかは置いておくとしても
同じ人格で構成されてしまったら、自分は自分と出会い続けることになり
そもそもそれを出会というのかどうかも、怪しくなります。
出会っている感覚もないのではないでしょうか。
遺伝子が同じ双子だって育つうちに異なる人格へと成長し喧嘩します。
なのに、全く同じ人格の人同士が向き合ったら
喧嘩どころか、友情も愛情も共感もないような予感がします。
世界が多様な人格で構成されているのは、
やっかいな、時に悲惨な結末の原因でもありますが
それでも、みんながそれぞれに違っているからこそ
その出会いの先に、新たな可能性を開いてこれたのだと思います。
違いの出会いは、何も衝突だけを生むのではなく、創造もまた生みますから。
同じが出会っても、互いの限界を破れませんが
違いが出会って触発しあえば、互いの限界を破って、新たな道が開けます。
人間が地球に満ち満ちている現在
人と人が出会う可能性は、加速度的に高まっています。
いかに出会い、いかに関わるかは、ひとりひとりの未来はもちろん
地球の未来にも大きな影響を持ちそうです。
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