久しぶりに大阪の街をぶらぶらと散歩しました。
今日は大阪での仕事だったので、早い目に大阪入りしたためです。
本当は散歩のためではなく、大学時代の後輩と再会するためだったのですが
彼が大幅に遅刻したために、思いがけず散歩に時間ができました。
僕は大阪に住んでいたこともありますし
大阪を離れてからも、年に何回かは大阪を訪れる機会があります。
訪れるたびに、街がどんどん変わり続けているのを感じます。
そんな様子を見ていると、まるで街が生き物のように感じられます。
近代的なビル群がニョキニョキと天に向けて伸びているすぐ足元では
ゴチャゴチャとした商店街が広がっています。
ビル群の中の洗練された店舗空間も好きですが
そこにあまり長く留まると、どことなく息苦しくなります。
僕の個人的な嗜好性の問題なのでしょうけれど
ゴチャゴチャと猥雑な、混沌とした街路に強く惹かれ、落ち着きます。
いろんな嗜好性に向けていろんな店が軒を並べ
それぞれのやり方で、自分の店をアピールしています。
そこに統一した方法、様式などはいっさいありません。
それぞれが、本当に好き勝手に、自分の店はどんな店なのかを
声高に、時に、物静かに、時に、奇妙奇天烈に、表現しています。
商店街の向こうに聳えるビル群は、僕には、合理性と秩序を象徴しているように見え
商店街は、情動性と不均衡がもたらすエネルギーを象徴しているように見えました。
どちらもが、街の現在進行形の今、であり
人の欲求と営みの結果として生じ続ける結果の集合です。
僕は、なぜか、秩序と混沌の混在状態に、強く惹かれます。
洗練しようとしつつも、どうしても綻び、そこからあふれてしまうエネルギーに惹かれます。
野放図に垂れ流されるエネルギーではなく
秩序に収まり切らずにはみ出してくるエネルギーが好きです。
僕のそういう嗜好性の原点は、もしかしたら、大学時代にあるのかもしれません。
当時、僕の周りには、秩序の重要性はおそらく十分に理解する知性を持ちながら
どうしても、時に意図的に、はみ出てしまう異形の個性を持った仲間がたくさんいました。
彼らとの日々の混沌とした関わりの中で、今日の僕の嗜好性が育まれたように思います。
今日、大幅に遅刻してきた後輩も、当時の大切な仲間のひとりです。
久しぶりの再会だからといって、約束の時間を必ず
守るような奴では、ないのです。
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