2022年5月31日火曜日

岐路であって岐路でない。

例えば、ビルから飛び降りる選択をしてしまったら
もうその後は、どうしようもなく、来たるべき終末を受け入れるしかないのかもしれませんが
日常においては、これほど選択した後のことに決定的な影響を与えることは
さほど多くないように思います。

大事な決断の場面はいくらもありますが、
決断した後も、無限に小さな決断が続くわけで
大きな決断そのものが事後に大きな影響を持つというよりは
大きな決断をしたことに対する自分の気持ちが、その後の小さな判断に影響を与えて
少しずつ決断の影響が積み重なっていって、元に戻れないところまできてしまう
というのが実相ではないでしょうか。

ですから、生きていく上で、勝負どころの岐路がある、と力が入りすぎるよりは
最良の判断ができることなど稀というか、ほとんどないのだから
よくて次善の判断しかできないのだから
判断をした後に起きることを冷静に受け止めながら
その後の展開が、少しでもよくなるように、小さな判断を積み重ねていこう
という気持ちでいた方が、心穏やかで過ごせるように思います。

未来は、文字通り、まだ来ていないのですから
そこで何が起きるか、十分な予測など不可能ですし、
かりに十分な情報が集まったとしても、それをあれこれ分析している間にも
未来は現在へと押し寄せてきてしまいます。

未来についての十分な情報収集も分析も、完璧な判断も不可能。
であれば、絶えず未来から現在へと押し寄せてくる状況の変化の中で
起きていることをしなやかに受け止めて、自分にできる範囲のことを
せいぜい次善のことしかできないという脱力加減で、やってみて
自分の影響力の外にあることには悩まない、という姿勢でいたいと思います。

あらゆるところに異世界への入口は扉を開いているので
どこかまずいところに入り込んだとしても、そこから別のどこかへの扉は
必ず見つかるはず、そう思えば、「人生の決断!」とか力が入りすぎて
余計にまずいことになることは避けられるかなと。

そういえば、僕の好きなアクション映画の主人公は
ビルから落ちてしまっても、そこから先の生き残る道を落下しながら模索し
超人的な生還を果たす、という場面がいくつかありました。




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