昨日の記事では、煮詰まったら気分転換に
散歩したり、運動したりして、環境を変えることの効用を考えました。
今日は一転して、煮詰まってもとことん独りで考えることが大事だと言ってみたいです。
というのも、実は、現代を生きる私たちは、とことん自力で考えてみるということが
なかなかできない環境に置かれがちなのではないかと思うからです。
ですから、自分の脳力を絞り切るところまでは辿り着かない
その何歩も手前で、煮詰まったような感覚になっているだけではないでしょうか。
私たちは、受信可能な情報が多すぎます。
何かを考えようとする時、ちょっとネット検索すれば膨大な情報が降り注ぎます。
あれもある、これもある、こっちも良さそうだ、などと
情報の雨霰、濁流に呑み込まれると、じっくり自分の考えを深めることができません。
検索して、良さそうな情報をつなぎあわせて、体裁を整えることが
自分で考えることに置き換わっている場面が多いのではないでしょうか。
自己流、自己正当化、独我論、視野狭窄に陥ってもいいから
まずは、自分でとことん考えてみる、自分が納得できる考えを組み立てる。
煮詰まったと思ったら、安易に外部の情報に頼らず、そこに踏みとどまって
自分の考えの限界、袋小路がどのように出来上がっているのかを客観視して
それを解きほぐす方法、自前の出口の作り方を模索してみる。
そうしているうちに、天啓のように思考が整理されていく。
そんな瞬間が、ありえるはずなのに、現代のIT環境は、それを妨げているように見えます。
大学の時、ネット環境も何もないところで、とことん自分で考えたことは
今考えれば、荒削りで稚拙なところは多分にありましたが
それでも、今の自分に通じる、根底的なところまで考えられていました。
とことん、独りで。
いながらにして世界と繋がれる現代を生きるからこそ
大事にしたいと、思います。
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