2022年5月18日水曜日

何事も、どこかへの途中経過だから。

その結果がすべてで、そうなってしまったらもう終わり
なんてことはそうそうなくて、たいていのことは、何が起きようと
世界は、日常は、個々人の気持ちとは無関係に、淡々と続いていきます。

でも、個人の気持ちはそうはいかなくて、望ましくない結果に直面すると
時には、全てが崩壊したような気分になり、絶望の淵に沈み
心身を壊してしまう例も少なくありません。

個人レベルで困ったことが起きようが起きまいが
日常は刻々と時を刻み、前へ前へと進んでいきます。
何が起きても、それはあっという間に過去へと流れ去ります。
何かが起きたら、その次に何かが起きて、その間に関係があったり、なかったり
どこかで完全に何かが終わる、ということは地球がなくなるまで、ありえないでしょう。

すべては、当分はやってこない終末へ向けての途中経過。
終末などということは、たかだか100年しか生きない個人には
考えても仕方のないことなので、言い換えると
良いことが起きようが、悪いことが起きようが
それは、それ以前に起きたことから、それ以後に起きることへ向けての途中経過。
しかも、止まることのない流れの中の途中経過。

最悪の出来事も、どんなに抵抗しようが、過去へと流れ去り
至福の瞬間も、どんなに抱きすくめても、思い出としてしか存在しなくなります。
どんなできごとも、ずっと自分の眼前に止まり続けることはなく
どんな現実も、その中に自分があり続けることは不可能で
すべて流れ去っていってしまいます。
自分は、開けくる未来と対面し続けるだけです。

であるならば、起きたことに、いずれ流れ去る起きたことに
束の間よろこぶのは良しとしても、絶望に絡め取られて
開けくる未来から顔を背けるのは、損しかない行為だと思います。

何が起きようが、起きたことの意味を決めるのは、それを受け止める側であって
起きたことそのものに意味はありません。
道端に100万円が落ちていても、そこに佇むカエルには何の意味もないのと似ています。

生きていられる限りは、自分がいる、今ここと
そこへ向けて開けくる未来を、深く受け止めながら
ゆったり、丁寧に、歩んでいきたいと思います。



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