2022年5月5日木曜日

その水の音を耳にするのは誰。

 夕暮れ時の神社。

木の茂みを通して夕日がやわらかにさしてくる境内は

カラスの鳴き声がたまに聞こえるくらいで、とても静かでした。


その静かな境内に、ひとつだけ、ずっと同じ調子で響き続ける音がありました。

手水舎の水面に落ちる水の音です。

その音は僕にとって、そこにあるのがあまりに当たり前で

最初は、その音が響いていることに気づかなかったくらいでした。

いや、気づいてはいたのでしょうけれど、意識にのぼっていなかった

というほうが正確でしょうか。


小さな神社の小さな手水舎。

境内には僕ひとりしかおらず、その音を聞くのも僕ひとりです。

僕がくる前は、そこには誰もおらず、誰に聞かれることもなく

その水の音が、そこに響いていたのでしょう。

それは想像するしかない光景ですが、とても心を鎮めてくれる光景でした。


誰もいない静かな境内で、誰の耳に届くこともなく響く水の音。

いや、聞こえていますね、神社の境内に生きる、いろんな生き物の耳には。

ただ人がいないというだけで、そこにはいろんな命の営みが

絶えずあるのですから。


それを観察する人間がいなければ、その営みは、ないのと同じでしょうか。

物理学でそんな思考実験があったように記憶していますが

そのようなドライで厳密な考え方ではなく、今日の僕は

それを想像する人がいる限りにおいて、その存在を直接、見聞きしなくても

それは存在しているんだ、と考えたくなりました。


僕がその境内に来るずっと前から、その水の音は響き続けていて

その音をいろんな生き物が聴き続けていて

それは、僕が去った後も、ずっと続く。

そう考えると、心がふわりと、やわらかくふくらんだように感じました。




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