2022年4月7日木曜日

今、ここにある桜は。

 早起きして、カメラ片手に近所を散歩してきました。

河川敷まで行くと桜が満開なので、その写真を撮ろうかなと思って

そちらに向かって歩き出すと、途中で、思いがけず立派な桜に出会いました。


そこに桜の木があるのは、多分、ずっと前から認識していたはずですが

いったん河川敷の桜を見に行く、という気持ちになって歩き始めていたので

意識は河川敷の桜で占められているところに

その道すがら、唐突にその桜がグイッと現れた感じでした。


桜の写真を撮るのは難しいです。

近寄って花をアップで撮れば繊細な美しさを捉えられますが

今日の僕が感じた、意識の中に突如として現れたような迫力は捉えられません。

ちょっと引き気味に、より広い範囲の枝振りをフレームに収めようとすると

ピントがあったり、あわなかったり、空が明るすぎると桜の花の印象が弱まったり。


デジカメが世に出る前は、写真を撮っても、どんな写真が撮れてるかは

現像してもらって、それが手元に返ってくるまでわからなかったのに

今では、その場で確認できますし、しかも

写した後で、パソコンに取り込んで、色調、露出などを調整することができます。

何か人工的な加工みたいで、反則っぽい気もしますが

そんな時に、ふと思うんです、今日、僕が見た桜は、本当はどんなだったのだろうって。


今日の散歩の途中、僕の前に突如として現れた桜は

不意を撃たれた僕の驚きの中ではそのような見え方をし

カメラの性能と僕の撮影技術の中では、またちょっと違う写り方をし

パソコン上で色調や露出を調整した後は、また違う見え方をします。

どれが本当の、あの場所にある桜なのでしょう。


僕は少々近眼です。

もしとても目が良くて、色彩に敏感な人があの桜を見たら

僕とは違う見え方をしているはずです。

カメラの性能がもっと良ければ、もっと違う写り方をしたでしょうし

パソコンで色調のバランスを変えれば、また違う桜の姿が現れるでしょう。

目の前に、ありありと見えていたはずの桜は

本当は、いったいどんな姿をしているのか

もしかしたら、いろんなありようがあって、本当のありようを目にすることは

誰にもできないのかもしれません。







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