2022年4月16日土曜日

去るものの上に栄えるもの。

 以前、我が家の庭には、スモモの大きな木がありました。

あまりに大きくなり、スモモの実がカラスに狙われるようになり

あちこちに食い散らかすものですから、思い切って伐採してしまいました。


なかなかの大木でしたから、根こそぎというわけにはいかず

直径20センチほどの切り株が残りました。

今年の春は、その切り株の周りに、ハーブが密生し

他にもいろんな種が覆い尽くしています。

僕には、切り株が、いろんな草たちの日向ぼっこの縁台に見えます。


大木があった頃は、地面の草たちにとっては、暑い日差しを遮って

木陰を作ってくれる役割だったかもしれませんし

もしかしたら、その頃には、今とは別の植生があったのかもしれません。


スモモの大木は、もうありませんが

その周りの植物たちに、生きる場所を与えています。

周りの植物たちは、大木が残した切り株にうまく頼って茂っています。

整理整頓とか、体系化とか、論理とか、いったものとは

かなり縁遠い光景で、それぞれが思い思いに茂っているように見えますが

それでいて、それぞれの場所に一番ふさわしい茂り方をしているのでしょう。

全部がハーブでもダメでしょうし、何かの植生と別の何かの植生が

定規で区切ったように分かれていてもダメでしょう。

ゆるやかにもちつもたれつしながら共生しているのだと思います。

完全に無秩序ではなく、それでいて窮屈な秩序はなく

生きるべきところに生きるべきものが生きている。


そんな光景を眺める時、僕は飽きることがありません。



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