以前、我が家の庭には、スモモの大きな木がありました。
あまりに大きくなり、スモモの実がカラスに狙われるようになり
あちこちに食い散らかすものですから、思い切って伐採してしまいました。
なかなかの大木でしたから、根こそぎというわけにはいかず
直径20センチほどの切り株が残りました。
今年の春は、その切り株の周りに、ハーブが密生し
他にもいろんな種が覆い尽くしています。
僕には、切り株が、いろんな草たちの日向ぼっこの縁台に見えます。
大木があった頃は、地面の草たちにとっては、暑い日差しを遮って
木陰を作ってくれる役割だったかもしれませんし
もしかしたら、その頃には、今とは別の植生があったのかもしれません。
スモモの大木は、もうありませんが
その周りの植物たちに、生きる場所を与えています。
周りの植物たちは、大木が残した切り株にうまく頼って茂っています。
整理整頓とか、体系化とか、論理とか、いったものとは
かなり縁遠い光景で、それぞれが思い思いに茂っているように見えますが
それでいて、それぞれの場所に一番ふさわしい茂り方をしているのでしょう。
全部がハーブでもダメでしょうし、何かの植生と別の何かの植生が
定規で区切ったように分かれていてもダメでしょう。
ゆるやかにもちつもたれつしながら共生しているのだと思います。
完全に無秩序ではなく、それでいて窮屈な秩序はなく
生きるべきところに生きるべきものが生きている。
そんな光景を眺める時、僕は飽きることがありません。
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