近所の神社の境内にある大木を見上げ、枝葉の間から漏れる陽光を浴びながら
「 森の木々は、互いの葉っぱが重なりあわないように成長する」
と聞いたことがあったな、と思い出し、調べてみました。
クラウンシャイネス(樹冠の遠慮)という現象だとわかりました。
近所の神社の大木の育ち方がそれに該当するかどうかはわかりませんが
互いに恥ずかしがり、遠慮するように育つことで
互いの生育環境を最善化しているようです。
葉が重なりあわないことで、陽光をまんべんなく浴びることができます。
空を閉ざさないことで、陽光は地面に届き、土を肥やし
他の生物の営みも活性化するのではないでしょうか。
思い思いに枝葉を伸ばしているように見えて
長い時間の流れの中で、互いに共鳴しあいながら
育ち方を調整しているのかもしれません。
自分が生きることを最優先に考えれば
短期的には、自分の枝葉を最大限に伸ばすのが有利ですが
そのままではおそらく、自分以外の生命の営みを抑圧することになり
生育環境としては貧しいものになるのかもしれません。
ですから、長期的に考えれば(まさに木が考えているように見えます)
自分のまわりに多様な命がもちつもたれつしながら
共生関係を築けるようにするのが有利になるのでしょう。
実際には、脳を持たない木々に思考も判断もないのかもしれません。
ですが、人間よりも遥かに長く生きる木々が、無限の試行錯誤の末に
そのような生き方を手に入れているとすれば
それは、高々100年しか生きない個人の思考を遥かに超えた思考のように感じられます。
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