橋は、見るのも、渡るのも、潜るのも、好きです。
なぜか、橋に魅かれてしまいます。
大きな川に架けられた橋には、ふたつの土地を結ぶ力強さを感じますし
小さな川に架けられた橋には、歩く人を励ますような優しさを感じます。
橋の語源は、「端(はし)」だそうです。
「端」には「間(あいだ)」の意味もあり
両岸の間にわたすもの、離れた端と端を結ぶものの意味から
「橋」という言葉が成立しているようです。
大学生の頃、エジプトを旅しました。
夜、ナイル川のほとりに佇み、遠い対岸を見つめました。
古代エジプト時代には、ナイル西岸は死者の町とも呼ばれ、
多くの墓が造られたと、日中の観光の際に耳にした、その夜のことです。
ナイルの西岸は、夜になると真っ暗な闇に包まれ、小さな光がポツポツと見えました。
数千年前、エジプトに暮らした人たちは、この川の向こうの世界を、死者の町を
どんな思いで見つめていたのだろうと
当時の人たちの眼差しに自分の眼差しを重ねる思いで、対岸を見つめ続けました。
橋というものがなければ、その川が大きければ大きいほど
その両岸に暮らす人たちは、対岸を、ある種の畏怖や羨望を持って眺めるしか
ないのではないでしょうか。
今、橋は、どこにでもあり、私たちは、ここではない、あちら側へ
最も簡単に移動することができます。
それは、もしかしたら、ここではない、違う価値を持った別の場所への
想像力や尊重の思いを薄めてしまってはいないだろうか、とも思います。
文明の進歩に従って、世界は「橋」に満ちて行きましたが
「端」という感覚は希薄になっているのではないでしょうか。
端に立つ時の、もうひとつの端に対する、畏怖と謙虚と想像力は
果たして健全に受け継がれているでしょうか。
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