カレーライスにおけるジャガイモの役割は
ジャガイモ好きな人にとっては、はっきりしているかもしれませんし
昔ながらの大きめな具がゴロゴロしたカレーライスに馴染んでいる人にとっては
そんなこと説明するまでもなく、それなくしてカレーライスではない
というかもしれません。
だから、わざわざ、ジャガイモ抜きのカレーライスを
作ろうなどいう発想にはならないでしょう。
でも、どんなにわかっているつもりのジャガイモの価値も
ジャガイモがあり続ける限りにおいては、その理解には限界があるようにも思えます。
ジャガイモが入っているカレーラースを食べ続ける限りにおいて
ジャガイモがそこで果たしている役割や、ジャガイモそのものの価値の深さは
十分に理解できないでしょう。
なぜなら、ジャガイモが、そこに、あってしまうのだから。
それがそこにあってくれることの価値は
それがもう2度とそこにはない、という状態がやってきて初めて
深く理解されるのだと思います。
ジャガイモの存在する価値は、その不在によって証明される。
ジャガイモの価値を真に理解するために、わざわざジャガイモを不在にするのは
ちょっとしたお試し、お遊びとしては、ありですが
ジャガイモの価値を理解するために、2度とジャガイモをカレーに入れない
というのは、行きすぎた判断でしょう。
もっと素直にジャガイモ入りのカレーライスを楽しみ続ければいいと思います。
でも、万が一、ジャガイモが世界から失われたら
その不在を嘆き、ジャガイモの真の価値を深く理解した後は
ジャガイモなしのカレーをいかに美味しくするかという
新たな一歩を踏み出すのが、カレーというこの上なく美味な食べ物を生み出した
創造的人間のあるべき姿だと思います。
ジャガイモに代わる何かを、ジャガイモが果たし続けた役割の深い理解の上に
探し、生み出すことを試み続ける、そして新たなカレーライスを創造する。
そんな日常の歩みこそが、不在により明らかになったジャガイモの存在の価値を
より発展的に高めるはずです。
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