2022年4月26日火曜日

2個体から始まる世界。

 何かが、ひとつ、ひとり、いっぴき、いっぽん、あるだけでは

事態はさほど複雑ではありません。

それが、そのようにあるだけですから

もし、その何かに意識、意志があれば、それに素直に従えば良いだけでしょう。

それを観察する存在すらいないのですから、何も気にすることはありません。


ところが、何かと何かの2個体以上が、存在して

そのすくなくとも何れかに意識のようなものがあれば

とたんに事態は複雑な様相を帯びてきます。

何かは、別の何かより、大きいとか小さいとか、強いとか弱いとか

比較が始まります。


比較している限りは、それらの個体の間に強い関係性は結ばれませんが

意志を持って行動する主体が2個体以上あると、関わりが生まれます。

どちらかがどちらかに働きかけ、働きかけられ、働きかけ返します。


意志を持っていれば、価値観や(そこまでいかなくても)欲求がありますから

それらは、個体によって少しずつ違い、ときに大きく違い

快不快、利害のすれ違い、衝突が生じます。

それらが生じると、それぞれの意識は、自分とは違う意識のありようがあるのだと

幸運で賢明であれば学ぶでしょうし

そうでなければ、どちらかが自分の欲求を押し通そうとするでしょう。


わずか2個体でこのような複雑なことが始まるのですから

億の単位の人間が構成する社会は、すれ違いと衝突が生まれるのが常態でしょう。

すれ違わないようにする、衝突しないようにすることも知恵でしょうけれど

これだけの数の人間が存在する場合

すれ違いや衝突など、個体間の不都合な出来事から常に学び続ける

という姿勢は、社会を構成する以上必須だと思います。

このような学びは、すれ違いと衝突を忌避しているだけでは生まれないでしょう。

助け合いの姿勢も大事ですが、これも価値観や欲求の違いによって

助けたつもりが、好意の押し付けになったりもします。

やはり、どうしても、個体間の不都合な出来事を常態としてそこから学ぶ

という姿勢が、2個体以上から構成される世界では必要だと

2個のハシビロコウのマスコットが並んでいるのを眺めながら

とりとめもなく考えました。



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