大学の同級生に、キノコにやたらと詳しい友人がいて
彼と一緒に歩くと、僕がまったく気に留めない草むらの一部に
ある種のキノコを見つけて、なにやら教えてくれたことが
たびたびあったな、と思い出しました。
なぜ、そんなことを思い出したかというと
今日の仕事先のすぐ近くに、石だらけ、岩だらけの海岸があって
はて、こういう海岸は何と呼べばいいのだろう?と疑問に思い
調べてみると「磯」と呼ぶことがわかりました。
英語だと「rocky shore」です。
磯という言葉は、よく耳にしますし、
そもそもサザエさんの「磯野」という苗字で昔から馴染みがあります。
にもかかわらず、僕は、磯の正体をはっきりとは知らなかったのです。
磯の正体を知っている人にとっては
今日、僕が目にした石と岩だらけの海岸を見て
「美しい磯だ」とか「広い磯だ」と認識したことでしょう。
でも僕には「石が多い海岸も、あらためて見ると綺麗だな」と思ったわけで
磯と認識した人と比べると、ずいぶんと雑な捉え方になっています。
何でこの話が、キノコ好きの友人の話につながるかというと
彼は、信じられないくらいのキノコについての知識を持ち合わせていて
そういう彼の目に見える世界は、キノコと言ったら椎茸と松茸とシメジくらいしか
思い浮かばない僕に見える世界とは、
ずいぶんと違って見えているんだろうなと思ったからです。
少なくとも、キノコについての解像度が格段に違って
草や土にまぎれたほんの小さなキノコでもくっきりと見出すのでしょう。
磯にせよ、キノコにせよ、あらかじめ何をどれくらい知っているかによって
私たちは同じ世界に暮らしながら、違う世界を見ているんだなと思いました。
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