2022年4月27日水曜日

菜の花や月は東に。。。

 何かを見つめるとき、それそのものの背景も必ず視界に入ります。

何かを見つめるとは、何かを背景としてそれを捉えるという相対的な認識です。

山を背景にした家と、海を背景にした家では

たとえ同じ構造の家でも、見え方が異なりますから。


そんなことを考えたのは、河川敷に咲き乱れる菜の花が視界に入ったからです。

びっしりとした密度で群生している菜の花の迫力にも魅かれましたが

僕が魅かれたのは、それより少し離れたところで

ぽつんと咲いていた菜の花でした。

それは、ずっと向こうにある大きな橋を背景に咲いていました。

ぽつんと咲いた菜の花の可憐さの向こうに橋を見るとき

ただ単に橋を見るよりも、その橋はずっと人工の堅牢さを感じさせました。


そういえば、江戸時代の歌人、与謝蕪村は

「菜の花や 月は東に 日は西に」と詠んだのでした。

俳句を鑑賞する力は、あいにく持ちあわせていないのですが

菜の花を挟んで、東に月、西に日を見つめる与謝蕪村の姿が

広大な大地の中に見えるように感じます。


そんなことを考えていたら、中学校の頃の国語の授業を思い出しました。

国語の先生が「これは壮大な句」です、といって説明してくれたのが

万葉集の歌人、柿本人麻呂の

「ひむがしの野に かぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」

でした。


小柄な国語の先生が、全身を使って、「かえりみる」を演ってみせてくれて

かぎろひ(朝日)が昇るのを見て、「かえりみたら」月が傾いているんです

これは壮大な光景です。と説明してくれたと記憶しています。


広大な大地に立って、大空を見つめる二人の歌人の姿が

河川敷の菜の花を見つめる僕の脳裏に浮かびました。


二人の姿は、教科書に出てきた時とは違って

菜の花が咲く河川敷とその上に広がる大きな空を背景にして

ずいぶんと人間くさく、身近に感じられました。





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