公園の緑の中を散歩していると、不気味な姿の大木に出会いました。
太い幹の一部が、裂けて中が空洞になっていたり
木肌に瘤のようなものがゴツゴツと隆起して、うねっていたり。
周りの、いかにもすくすくと育った木々の中にあって異様な姿でした。
植物のことはまったく詳しくありませんが、育つ過程で病気になったり
傷がついたりして、その過程を乗り越えた結果が
現在の異形の大樹になったのではないかと思います。
出会った時は、ギョッとしましたが、よくよく見ると
畏怖の念を起こさせるような、静謐と迫力を兼ね備えた存在感が伝わってきました。
以前に、雷に撃たれた後も生き続けている大樹を見たことがありますが
その時と同じ感覚です。
雷に撃たれた大樹は、根本から半分に裂けてしまっているにもかかわらず
堂々とした枝振りを天に向かって伸ばしていました。
病気になったり、折れたり、裂けたりした木は
もしかしたら、そうそうは生き残れないのかもしれません。
もし生き残れるのなら、異形の木々は、もっと頻繁に見られるはずですから。
こうして、困難、厄災を乗り越えたて生きてきた道のりを
その姿そのものに留めていることが、これらの大樹の存在感の源のように思えました。
木に限らず、生きた道のりは、その姿かたちに痕跡を残します。
どんな姿かたちをした存在として歳を重ねていくか
自分ごととして、考えながら、異形の大樹に向きあいました。
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