外出ついでに、近くにある桜の名所に、ふらりと寄ってきました。
小川の両脇に並ぶ桜の木は、川に覆いかぶさるように枝を伸ばし
その先々にある蕾は、満開までもう少しというところでした。
ここから数日は天気が良いみたいですし
今週末にはちょうど満開の花見日和になるのではないでしょうか。
僕は、特別に花が好きというわけでもありませんが
一面に咲き誇る桜を観ると、やっぱり心が晴れやかに
浮き上がるような気持ちになります。
綺麗な花を見れば、美しさに見惚れ、写真を撮ったりもしますが
桜の場合は特別に心が動くように思います。
日本人には、桜を愛でる本能のようなものが埋め込まれているのでしょうか。
自分が、目の前の桜に対して、綺麗だな、美しいな、と感じ入っている時
果たして、これは、誰が感じていることなのだろう、と不思議な感覚になりました。
確かに、僕自身が、桜を観て、心を動かされてるのですが
僕の心がそのように動く性質というのは、僕が作ったものではなくて
子供の頃、周りの大人が桜に感動するのを見たことによってだったり
桜にまつわる物語や歌に、繰り返し触れてきたことによってだったり
または、もっと深く、僕の遺伝子の中に、はるか祖先から脈々と受け継がれてきた
桜に心躍らせてきた経験のせいだったりするのではないでしょうか。
日本の風土に生まれ育った祖先の末裔として
いろんなものことを脈々と受け継いだ結果として
今日の僕は、桜を愛でていたのではないかと思うのです。
桜を愛でていたのは、僕自身でありながら
僕の中に受け継がれている祖先の感性でもあるのですから。
そういえば、今日、目の前にあった桜は
はるか昔の桜の祖先から何を受け継いでいるのでしょう。
僕と桜の今日の出会いは、遠い祖先から脈々と何かを受け継いできた
人間と桜の出会い、長い時間の流れの交錯でもあったのだと思い返しました。
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