2022年3月6日日曜日

願いを込める。

どんなことであれ、100%確実なことはなく
どんなに優れた人であっても、やり損なうこともあれば
環境に恵まれなかったり、不意の出来事に足元を掬われたりするわけで
だから「願う」という行為があるのだと思います。

願うことと、要求することは、違います。
求めてはいるのだけど、相手によって齎されるのを待つのではなく
願う以上は、自分はそれに見合うだけのことをします
という誓いを立てるという側面が、願いにはあるように思います。

つい先日のオリンピックに出場したスター選手が、確か
「報われない努力もあるんだな」というようなことを発言していました。
極限の努力をした上でなお、叶えられない願いがあるとしたら
願うことの価値は、願いと共に生きる日々の中にこそ
あるのかもしれません。

昨年の春、いくつかの願いを込めて
龍の模型を創りました。
たくさんの金属部品からなる、精巧な模型で
けっして上手な出来ではありませんが
部品のひとつひとつに深い願いを込めながら、苦心惨憺の末、完成させました。
その龍は、今の棚の上にずっと佇み、家族を見守ってくれています。

願いを込めて作ったことに
そもそも願うべきことがあることに
そして、願いと共に健やかに過ごせていることに
感謝しながら、今日も美味しく晩御飯を食べました。



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