伝えようとした内容は、そう大きく間違っていないと思うけれど
ちょっと感情がたかぶって雑な言い方になったかなぁ
と思うことがあります。
自分では、たまに、だと思っていますが
もしかしたら、客観的には、ちょくちょく、なのかもしれません。
真実は、自己解釈と他者解釈の間にあるのでしょう。
それはともかく、そういうことがあった後は
だいたい自己嫌悪に陥ります。
だめだなぁ、雑だなぁ、乱暴だなぁ、浅いなぁ、などなど
自分の未熟さを責めることがしばらく続きます。
他者とのやりとりの中で、このような、自分的には、残念な言動が
引き出されるのですが、やり取りのさなかは、半ば自動的なので
そこでどのような言動になるかは、ひとりの時間にどれだけ
深くものごとを考えることができているか
にかかっているように思えます。
じっくりと、ゆったりと、自分が何を、なぜ大事にしたくて
どう進みたくて、誰と、どう関わりたいのか、など
自分の生き方の根幹についての、深い思索があればこそ
他者とのやりとりのなかでも、落ち着いていられるのではないでしょうか。
自分が生きるということについての、太い根を、深く広く伸ばし
常に、さまざまなことを吸収しながら、未来を太くし、枝を伸ばし
葉を茂らせ、花を咲かせるようでありたいと思います。
身近で起きることに振り回されたり、状況に慣れてしまったりすると
根を太くすること、深く広く伸ばすことが、疎かになるようです。
切り株の写真を見ながら自戒します。
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