「博士と狂人」という映画を視聴しました。
オックスフォード英語辞典を創り上げた人たちのドラマです。
使われているすべての英語の意味、その変遷などを
辞書としてまとめあげる途方もない努力が描かれています。
ひとつの単語の検討に何日も何日も費やし、それからまた次の単語
という営みを見ていると、こんなに先の見えない仕事、まるで砂粒を積み上げて
ピラミッドを作るような仕事に、何が彼らを駆り立てるのだろうと思いました。
彼らの熱量に圧倒されるままにエンディングを迎えてしまい
その熱量の源は、一度の視聴では掴みきれませんでした。
あらためて思ったのは、自分が生きているこの世界も
彼らが生きたその世界も、すべて言葉でできていて、言葉を使うことによって
世界を生きることが可能になるのだな、ということです。
少ない言葉しか知らなかったら、世界は解像度の荒い姿で捉えられるでしょう。
多くの言葉を使いこなせたなら、世界の微妙な差異を味わうことができるでしょう。
ひとつの景色、体験が、多くの言葉によって語られることもあれば
少ない言葉によって語られることもあります。
言葉数を費やせば良いというものでもなく
詩や俳句のような世界の捉え方もありますが
世界を、いかに少ない言葉で表現するかが問われる時
それは、世界の微妙な意味の差異を豊かな語彙で捉え
そこから少ない言葉へと濃縮することが求められるのでしょう。
同時に、読み手も、少ない言葉の背景を思い描くには
与えられた言葉を起点として、豊かな意味世界を自ら描く力が求められるはずです。
自分は、日々、言葉の海という世界を泳いでいるのだと思いました。
言葉の海を自在に泳ぐには、世界をより広く深く知りたいという
欲求を持ち続けることが必要で、その欲求は世界を新たに紡ぎ出したい
という欲求につながっていくのではないでしょうか。
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