昨日のこと。
古い友人からの何気ない連絡がきっかけとなって
少し前に、立て続けに読んで感動した
でも、今は、本棚に詰め込まれたままになっている
ユヴァル・ノア・ハラリの本を手に取りました。
ノア・ハラリの「サピエンス全史」を読んだのは4年ほど前になるでしょうか。
歴史を俯瞰して、ダイナミックな動きをとらえるとはこういうことかと
目から鱗が落ちたことを覚えています。
その感動は、次作の「ホモ・デウス」でも再現され
続く「21Lesssones」では、今まさに見たこともない未来が生まれる
分岐点に生きているんだという興奮を覚えました。
エンターテイメント小説よりもずっと引き込まれたと思います。
ノア・ハラリは歴史学者で、歴史のことを語っているわけですが
彼の語りが感動的なのは、僕がまったく知らないことを材料にしているわけではなく
僕であっても学生時代の勉強や大人になってからの読書で
学んできて、知っているはずのことを材料にしながら
彼独特の鮮やかな手法でそれを捉え直し、分析し
歴史に対する深い洞察、未来に対する長い展望を描いて見せているからです。
例えて言うなら、僕と彼が同じ積み木を使って遊んでいたとして
僕は小さなお城を創って満足していたのに
その横で、彼は生き生きと動くバベルの塔を創って見せてくれた
という感じでしょうか。ちょっと違うかな。。。
知ること学ぶことは大事だし、多様な経験をすることも大事ですが
個々の知識・経験の積み重ねでは、なかなか辿り着けない境地
というものがあって、その境地からの景色を見るまで独力で歩むには人生が短過ぎて
だから、彼のような巨人の肩に乗せてもらって
深く、遠くまで見通すという経験をすることが大事なのだと思います。
巨人の肩からの景色を少しでも経験したら
そのすぐ後に、自分の身長の目線に戻ったとしても
遠くまで見通した残像とともに、目の前の現実を見ることができますから。
ずっと自分の身長の目線だけから現実を見ているよりも
少しだけ余裕が生まれるはずですから。
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