過去に体験したことについて思い出していると
いつの間にか記憶が都合よく脚色されていて、無自覚だったり
または、とんでもない勘違いが紛れ込んでいたり
時を隔てたふたつの出来事が一体のものとして記憶されていたり
記憶が変形していることがよくあります。
完璧な記憶なんてものがないのであれば
過去に何が起きたかは、どこまでいっても不確定なんじゃないか
そんなことを考えることがよくあります。
事実はひとつ、とはいうものの、事実は何らかの解釈を含み
解釈はある特定の立場、利害などからなされるので
誰がいつ解釈するかによって、過去の事実の意味はいくつも生まれ得ます。
過去に何があったかは、思い出す人と、時期によって変わります。
青年時代の苦い思い出が、中年になって微笑ましい出来事として思い出されたり
かつては大成功だと自負していたことが、今思えば、赤面ものの勘違いだったり
人は成長したり退化したり、とにかく時間と経験の中で変化していきますから
過去を見つめる視点も解釈も刻々と変わっていきます。
だから、過去に何が起きたのかは、どこまでいっても不確定だと思うのです。
過去については何も知り得ない、という希望のない話にしたいわけではなく
過去からは、振り返るたびに、多様な意味を発掘することができて
それは、未来を切り開く手がかりやエネルギーに変換できるはずだ、という
希望に満ちた話をしているつもりです。
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