CoCo壱チキン煮込み800g |
煮込み料理が好きです。
中でもカレーは別格です。
いくらでも、食べます。
カレー風呂に入りたい
とまでは言いませんが。
で、多様な人の考えが
混ざりあって、溶けあって
熟成する場としての話しあいを考えます。
カレーの調理に見られるように
熟成への過程で調理人は
常に手を加えているわけではありません。
食材を入れる順序と、火力と、かきまぜ方などは
調理人のコントロール下にありますが
時間経過による変化を待つだけの場面が必ずあります。
起きるべくして起きることを待っている場面です。
同じことは、おそらく
話しあいにも言えて
自然に起きる変化、熟成こそが
まず、優先されるべきだと思っています。
自然に生えた雑草が強いのと同じく
自然に生まれた展開が、やっぱり
その場に生まれるべくして生まれているわけで
その場に適した展開としての
強さを持っているはずだからです。
コンロに火を点けて、食材を入れて
軽くかき混ぜながら炒めて、水を加えたら
調理人がいったん手を引くのと同じく
話しあいの進行においても
リラックスできる場をつくって
参加者が口を開くきっかけを投げかけて
近くの人と自然に言葉を交わすようになったら
あとは、しばらく様子を眺めてみる。待つ。
その方が、その場で
「何が起きたがっているのか」を
リアルに把握することができると思います。
「何が起きたがっているのか」は
メンバーの気分と組み合わせによって
その場になってみないとわからないことで
起きたがっていることに寄り添うように進行するのが
一番、自然でしなやかな展開力を持つと思います。
早くに言葉を発した人、その周りに起きた話の展開は
場を動かす力を備えているはずですから
そこに注目を集めて、意見を引き出し
それに対しての意見を全体から募ってみるとか。
ファシリテーターが、あまり先手を打たずに
何かが起きやすい状況をつくり
起きたことを受け止め、そこから展開する。
あえて後手に回ることで、次の展開が
場から生まれやすくする。
参加者にあれこれ「させる」ことをせず
何かが起きるのを「待つ」わけです。
あと、ファシリテーターの重要な役割としては
話しあいの収束スピードを
速めすぎないことでしょうか。
待つといっても、放っておくと
口の達者な影響力の大きい人が
場を掌握して、あっという間に収束へと
向かいかねません。
で、それを歓迎する
「話しあいは端的に短く効率的に」派の人が
けっこういますので、本当に結論が出てしまいます。
で、カレーに例えると
ほら、ちゃんと煮込めたから、火を止めて
もう食べようよ、となってしまいます。
でも、ジャガイモが生煮えだったりするんです。
玉ねぎが煮えて溶けたからといって
人参もちゃんと煮えてるとは限らないんです。
話しあいでは
高速に考えて、場を掌握してしまう
いわゆる声の大きい人がいて
それはそれで、ダイナミックに場を動かすことに
非常に貢献してくれるわけですが
いわば、火力が強すぎるんです。
とろ火じゃないと煮えない野菜があるのと同じく
やんわりじわじわ本質に迫る考え方をする人も
それなりの数でいるわけです。
その人たちが本音を言う前に
話しあいが安易な収束へ落着しないように
ファシリテーターは、働かないといけません。
場の火力を落とすんです。
議論のスピードを落とすんです。
意見の細かな差異に注目したり
生まれかかっている結論と、この場の目的を
深く捉え直す問いかけをしたりしながら。
じっくり思考タイプの人が口を開くのを待ちます。
高速思考タイプの人が煮える火力と
じっくり思考タイプの人が煮える火力
が、それぞれ違うので
つまり、どんな環境、タイミングで
思いを発信し始めるかが、人によって異なるので
ファシリテーターは
場の火力、すなわち展開スピードを調節しながら
あらゆるタイプの人が、煮える環境をつくっていく。
煮えやすい人が煮えたから終わり
という誘惑に負けないように
みんなが煮えて、それぞれの旨味が出るまで
火力を調節しながら、待つ。
煮えやすい人からしたら
何をモタモタと回りくどいことをしてるんだ
と思われそうですけれども
そこは、あらゆる人の声を響かせることで
より良い話しあいと、結論が生まれるのだという信念を
その場に共有して、耐え続けるしかないように思います。
この、高速に流れがちな場を
いかに、低速に変化させるか、いかに待つかは
ファシリテーターとしての
肚の括り方にかかっているように思います。
あれこれ、したり、させたりするよりも
熟成は、やっぱり、まず、待つものだと思います。
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