創造的共生ということを考えているファシリテーターです。ファシリテーションに関係ありそうで、なさそうで、どっちなんだ、ということを記事にします。記事はだいたい、夜、思いつくままに、だーっと書きます。推敲なしにアップします。
2017年12月12日火曜日
ファシリテーター消滅の条件
昨日の話題の続きですが。
なるべく手数の少ない
ファシリテーターでありたいと
思っています。
あれこれ仕切る
シキリテーターではなく。
状況に振り回される
パシリテーターでもなく。
やんわりフェザータッチで
何かをやってるようで
何をやってるのかわからない
くらいの関わり方。
しまいには
いつの間にか
存在を忘れられてしまう。
それくらい、参加者が
自分たちの対話に没入してしまう。
で、場に大きな共鳴が生まれ始めたら
やおら姿を現して、転換点を生み出す。
参加者の意識を一段、深い領域に誘う。
そして、また、存在を薄めていく。
そのようなあり方をする
ファシリテーターでありたいと思っています。
そのための要因とは何か、あれこれ
思いを巡らせています。
今のところの僕は
最初からフェザータッチでは
うまく場をつかめないことが多いです。
ある程度の手数を要します。
その上で、徐々に消滅してくための
要因を考えると。
その日初めて会う人が多い場で
ファシリテーターを務める場合は
その場の企画段階から
深く関わってくださる人が
参加者の中にある程度含まれていると
存在を薄めていくことができます。
つまり
場の目的、コンセプトを理解している人が
含まれていれば、その人と僕との共鳴を通じて
全体の共鳴を波及的に生み出しやすいからです。
全体の共鳴が始まれば
ファシリテーターとして消滅しやすくなります。
一方で
あまり多くの人と事前に意思疎通ができている場合
予定調和が起こりやすくなり
ファンに囲まれすぎたお笑い芸人みたいになりそうです。
笑いのポイントで
必ず笑ってくれるだけでは
演芸場的には盛り上がりますが
対話の深化という面では淋しい気がします。
ある程度の数の
場の目的に共鳴しやすい人に
支えられながら
初めてあった人たちの深いところに
その場の目的を響かせていくような
ファシリテーションが前半戦でできれば
後半戦の場は、共鳴が共鳴を生む自律過程に
入っていけると思います。
で、その先に目指したいのは
あらかじめ目的の共有をしていた人と
後から共有てくれた人が、対話を通じて
互いの認識のズレを触発源として
新たな地平を開いてくれることです。
あらじめ目的を共有している人の認識の中に
後から共有してくれた人の認識が
取り込まれていくのでは
もはや洗脳ですから。
事前の打ち合わせは
その流れにみんなを巻き込み洗脳することではなく
共鳴しやすい状態を生み出すことであって
生まれ始めた共鳴の中に
時差や不協和音を交えながら
事前には想定できなかった
新たな音色の共鳴が響き始めることを
目指すためのものですから。
そこは、間違えないようにしたいです。
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