創造的共生ということを考えているファシリテーターです。ファシリテーションに関係ありそうで、なさそうで、どっちなんだ、ということを記事にします。記事はだいたい、夜、思いつくままに、だーっと書きます。推敲なしにアップします。
2017年12月5日火曜日
作り込みたい欲求が
ワークショップでも
シンポジウムでも
打ち合わせをしていて思うのは
作り込みたがる欲求が
多くの人にとって根深いこと。
テーマ設定が具体的すぎて
筋書きが細かすぎて
誰にどう聞いてもらうか、考えてもらうか
ターゲットの絞り込みが狭すぎて。。。
あらゆる余白を埋めて
安定を生もうとしているのでしょうか。
細かく作り込まれた場に
人の思いは流れ込まないでしょう。
そこで示されるコードに則って振る舞う
受動的な参加者か、
作り込みの外に逃げ出す逃亡者を
生み出していくでしょう。
ここでいうコードとは
企画者があらかじめ考えた
テーマでありあらすじであり
想定されるターゲットであり
考えや語りの進め方です。
コードが場に表出してしまうくらい
作り込まれている場合
安心する人と、窮屈に思う人に
二分していきます。
そして、自前の意見を持っている人は
窮屈に思う人の側に多く見られるでしょう。
その人たちは、自分が歓迎されている場ではないと
判断して、逃亡を企てていくでしょう。
ワークショップやシンポジウムなど
人が集い、意見を交える場では
設定が作り込まれれば作り込まれるほど
企画者側の事前の安心感は増し
当日の参加者の意欲は減退するのだと思います。
事前の安心感を獲得する代わりに
当日の場の密度を捨てるのは
本末転倒です。
大切なのは余白だと思います。
事前の作り込みに
いかに余白を残すか。
当日の参加者が
自分の文脈に応じて
自由に意見を投げ込めるような
広くて深い余白を残すか。
余白とは
大きな問いであり
参加する誰にとっても
我が事のように感じられる響き方を持つ問いです。
特定の人にしか響かない問いは
深いかもしれませんが、狭いものでしょう。
余白になりえる大きな問いは
企画者にとっても問いとして響かねばなりません。
企画者にとっては答えが想定されるような問いは
誘導に他ならないのですから。
作り込みたい欲求とは
自分を綻ばせたくない不安と
通じているように思えます。
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