2017年12月16日土曜日

どこで終わってもいい安心感



























会議の次第。
ワークショップのプログラム。
ファシリテーターは、時間内に
それが消化できるかが気になります。

気になると
場に起きていることが、上の空になって
どうやって、最後まで持っていこうか
という意識で頭が一杯になるでしょう。

で、ファシリテーターではなく
強引に結論に向けて引っ張っていく進行役
になってしまいがちでしょう。

このような場面では
もはやファシリテーターではありません。
参加者の思いの引き出しもなければ
丁寧な受容もないでしょう。

そしてやっかいなことに
ファシリテーターがこのような状態になった時には
同時に、その場の参加者も、同じように
早く結論に持っていこうという気持ちになりがちです。

その相乗効果で
せわしない進行と共に
予定調和な結論に落ち着きます。

ここには、ある価値観が潜んでいます。
「結論、完成まで至らなければ
 それまでの時間が無駄になる。
 また仕切り直しだ」
という完遂至上主義のような価値観です。

最後までたどり着くこと、やりきることは
様々な場面で重要であり
この価値観自体は、有用なのですが
こと、話しあいに関する限り
この価値観を持ち込みすぎると
場が空虚に展開し、予定調和に陥ります。

ここで、もうひとつの価値観を提案したいです。
「話しあった以上、その間に
 互いの考えは熟し、変容している。
 結論は出ていなくても
 我々は確かに成長した、価値を増した」
という内面や関係の変容至上主義のような価値観です。

この価値観に立つと
会議やワークショップは
ある程度は、目標を持って進むものの
どの瞬間に時間切れになっても
そこまでの話しあいで
相互に変容しているのですから
結論がなくても、価値を生み出していることになります。

確かに、もう一度、集まり
話あう必要は残ります。二度手間に思えます。
しかし、稚拙な、予定調和な結論を出した場合よりも
内面や関係の変容、成熟を伴った二度手間の方が
長期的に見て、より大きな成果に結びつくはずです。

二度手間の方が、組織の成熟に結びつくのです。
しかも、もうひとつ大きな利点があります。
それは、ファシリテーターも参加者も
時間切れの焦りから解放されて
今、目の前で起きていることに集中できて
話が深まる可能性が高まることです。

ファシリテーターは
どこで時間切れが起きても大丈夫なので
下手な帳尻合わせをする必要も
落とし所に無理に引っ張っていく必要もありません。

残り時間がどれだけ短くても
ただただ、起きていることを
受け止めていけばいいのですから。

ここで、ファシリテーターの
最も重要な役割は

話しあいが途中で終わってしまうことは
不毛なことでは決してなくて
それまで過ごした時間に
相互に変容、成熟してきたのだから
有意義なのだという視点を
事前、途中、事後に参加者と共有することでしょう。

参加者の価値観が完遂至上主義であれば
ファシリテーターの自己満足に終わるからです。

完遂至上主義は
どこでも根深いので
変容至上主義へのシフトは
簡単にはできず、回を重ねる必要が
あるかもしれません。

しかし、これは
誰にとっても有益な手間暇だと考えます。

会議もワークショップも
どこで終わってもいい。

そう思うだけで
伸びやかに話せます。
ファシリテーターの自在度が増します。
場に安心感が充溢します。



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