2017年12月7日木曜日

決めたことをやるよりも大切なこと



決めた以上はやろう。
最後までやりきろう。

っていう言葉だけとらえれば
立派なことで、反論もないですが。

ここには落とし穴が
あるように思います。

どのように決まったかを
問わないままに
「決めた以上はやりきろう」
という反論できない直言を掲げるのは
危ういです。

何となく決まった。
前例踏襲で決まった。
だれかの都合で決まった。

などのプロセスが隠蔽されたまま
決めた以上は。。。というのは
組織に、チームに、惰性を生み出します。
思考停止を生み出します。

なぜなら
決められた経緯が不可視のまま
決めたことの実行を重視するのは

それはそのまま
目的不在の手段拘泥への道だからです。

とにかく決まったからやるんだ。
やってきたからやるんだ。
あの人が言うからやるんだ。

で、やっている人にとっては
やった結果の責任はないのです。
決めた人に責任があると思っているから。

で、決めた人は
みんなで決めたと思っているから
責任があるとは思えないんです。

で、責任不在で目的不在の決定が
まじめな人たちによって
粛々と実行されることになります。

目の前で起きている結果について
多少の疑問が生じても
粛々と実行され続けます。

戦争から会社の倒産まで
組織が責任と目的不在のまま
破局に突き進んでいった例は
いくらでもあります。

私たちは
ダラダラした話し合いを嫌い
サクサクと決まっていくことを好みますが
その話し合いの中で

話し合いのスピードが優先されるあまり
目的が蔑ろにされていないかを
問うことを忘れてはいけないでしょう。

あっちにいったりこっちにいったり
迷走しながらも、いろんな思いが
繋がり重なりあって、結晶としての結論が出る。

それは、とっても非効率で
もしかしたら、話し合っている時間の割には
たいした現実を生み出せないかもしれない。

でも、その話し合いの過程で
ともに考えあった、考え尽くした絆が生まれます。
その絆の広がり、重なりを
軽視してはいけないと思うのです。

サクサク決めよう。
前例通りでいいじゃないか。

という決定を繰り返している組織は
組織としての思考力、判断力を低下させていくでしょう。

あれこれ回り道して
非効率ながら、自分たちの結論を
生み出すことを繰り返す組織は
組織として賢明になっていくでしょう。


決める過程に
効率の物差しを持ち込みすぎないことは
かなり大切だと思います。


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