2017年12月18日月曜日

思ってた以上に違ってる

予想より大きすぎたBLT、おいしいけど

























仕事の後に、小腹が空いて
カフェでBLTサンドを頼んだら
予想よりはるかに大きくてビビりました。
以前、食べたことのある某チェーン店の
大きさをイメージしていたので。

人それぞれ、何かを想定する時に
何らかの実体験を元にしていることが
多くあるはずです。

言葉にした時には
サンドイッチという
同じ言葉になっていたとしても

そこに込めた
イメージ、味わい、歯ざわりみたいなものは
言葉を発する当人が予想する以上に
人それぞれ大きな違いを孕んでいることでしょう。

BLTサンドは
ある程度、社会に流通していて
よく似たパターンを持てますが

本来、個人的な経験とその受け止め方は
多様であり、同じ経験をしても
違った風に感じるのが人の感覚というものなので
同じ言葉を使ってはいるものの
その背景にある経験が、とんでもなく違っている
という可能性があるわけです。

ので、結婚して見て初めて知った我が家のヘンな習慣。
「えっ、これって俺の実家だけだったの?」
みたいなことが、よく起きるわけです。

こういう現象は、
考えてみれば当たり前のことなのですが、
通常のコミュニケーション場面では、
ここが素通りされます。

コーヒーといったら
「あの」コーヒーに決まっいて
歯磨きといったら
「あの」歯磨きのやり方に決まっている。
という具合に、互いに一致していると
思い込んだまま会話が進んでしまいます。

コーヒーや歯磨き程度のことで、
多少のニュアンスが違っていても
その後の会話の進み方に
大きな影響を与えることはないので
大抵の場合、あまり問題になりません。

しかし、例えば、同じ組織に属するメンバーが
組織のこれまでを振り返り
これからを見通すような
深い対話をしようと試みる場合
このズレをいかに丁寧に埋めるかが重要になります。

互いに
同じ組織に属しているのだから
同じ経験をしていれば
それに与える意味も同じようなものだろうと
さらっと解釈してしまいます。

で、その組織におなじみのキーワードでスラスラと
「だよねー」「それ、あったねぇー」的な
滑らかな対話をしている気分になったりします。

でも、その滑らかな対話の背後で
着々と意味のすれ違いが積み上がって行って

「私たちの活動の意味って何だろう?」
「じゃぁ、これからどこを目指していこう?」

という、対話の核心、合意形成、ビジョン創出場面
になると、大きなすれ違いが露呈する
もしくは、これまで考えることなく保留されてきたことが
露呈するということになります。

ファシリテーターとして色々と経験してきましたが
どんな組織でも、多かれ少なかれ
このようなことは起きるもののようですし

人が集えば、細かな差異は一々気にせず
判断を節約して、わかりあおうとするのが
心理学的な原理だとも言えます。

ファシリテーターが対話の場面で
まず、抵抗するべきは
人や組織にとって、「ごく自然な」
この「細かな差異は気にせず」という傾向だと思います。

放っておいたら
誰もが、「まぁ、だいたい同じだよね」という
暗黙の了解で話を進め、最初は軽やか
核心に迫るにつれて、ニッチもサッチも
ということになりますから。

同じ言葉を使っているけれど
みなさんの意味していることは
どれくらい同じなのでしょう
どれくらい違うのでしょう

という七面倒くさい、ニュアンスの差異の確認を
ファシリテーターが存在することによって
みんなに促すことができる。
それが、ファシリテーターの
大きな存在意義のひとつだと思います。

「だいたい同じでいいじゃん」
というのが、普通で自然な判断なのですから。





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