2017年12月13日水曜日

成功体験ほど怖いものはない



ファシリテーションやってると
これはどうすればいいんだ?という
難しすぎる局面がやってきて
時折、幸運にも、火事場の馬鹿力が出て
綱渡り的に乗り切れてしまうことがあります。

振り返ってみて
おぉ〜、こういう乗り切り方があったのか
と、自分のやったことに
自分で感心してしまいます。

で、やっかいなのが
こういう成功体験の後です。

強烈な体験として
自分の中に記憶されますので
折に触れて、再生されるんです。

色んな人から
あれはどうやったんだと
尋ねられて、繰り返し語る機会があったり

または、自画自賛的に
うまくやったなぁと
思い出っぽく想起したり。

そうやっていくうちに
そこまでやってないだろ
くらい、クリアで美しい記憶になります。
強化されすぎた成功体験です。

これが、類似する状況の時に
あの時みたいにやりきればいいんだよ
という悪魔の囁きとして現れます。
この囁きには抗い難く、ついつい
あの時みたいにやろうとしてしまいます。

で、これが見事に
うまくいかないんです。
スベるんです。

考えてみれば当たり前のことで
初めの成功体験は
自分でもどうなるかわからないくらいの状況で
そこに捨て身の没入をする中から
繰り出された一手が
快心の切れ味を見せた結果ですが

2回目以降の類似状況で繰り出される
「かつて成功した一手」は
その状況の中から繰り出されたものではなく
その状況の外から対処療法的に
与えられるものです。

この違いは大きいです。
ファシリテーターが何をするのかが
状況から切り離されて与えられる時
状況との乖離を生み、空転するのは必然です。

これはかつての成功体験に限らず
誰々がやっていて上手くいっているのを見たとか
有名な本に書いてあったからとか
そういう一手も、同じ結果になるでしょう。

自分のかつての成功体験が
最も誘引が大きいので、ついつい
栄光よもう一回、となってしまいがち
だというだけです。

ので
成功体験ほど怖いものはない
と思っています。

成功体験をもたらしたのは
その時の自分のとった「やり方」ではなく
そのやり方を生み出した
状況に没入するという「あり方」であったのだと
そこのところを、くっきり区別しておく必要が
あると思っています。

やり方より
あり方。





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