2017年12月23日土曜日

太陽と照明と公園

冬の夜の公園






















明るい太陽に照らし出された昼の公園と
たったひとつの明るい照明に照らし出された
夜の公園の違いを考えています。

秋の昼の公園





















上は、違う公園の、違う時期の写真ですが
場所や時期の違い以上に
昼と夜、太陽と照明の違いを感じます。

太陽のもとで、昼の公園にあるものは
すべてが等しく存在しているように見えます。
どこに焦点を当てても、明るく
それぞれが、それぞれに存在しています。

照明のものとで、夜の公園にあるものは
光源に近いもの、光の色目と相性の良いものほど
浮かび上がって見えます。
存在が際立ちます。

太陽のもとでは
あらゆるものがフラットに並存し
照明のもとでは
照明との関係において
秩序、体系、構造が生まれているように感じます。

太陽が照らし出す光景からは
自分を解放し、のびやかに感じ、考え、行動し
いろんな人と関わるイメージが浮かびます。

照明が照らし出す光景からは
凝視する対象を限定し、思考を集中し
ある一点に向けて、あらゆる情報、感覚を
集約、体系化していくイメージが浮かびます。

ふたつ光景を交互に眺めながら
対話の場のありようにまつわる
あるインスピレーションが降りてきました。

その対話の場は
あらゆる存在が、それぞれのありようで
その場に存在することを受け入れられている状態で
幕を開けます。

まるで太陽に照らし出されるように
すべての人が、思い思いにそこにいます。

徐々に、光が弱くなります。
太陽が沈んでいくのです。
街灯、照明がつき始めます。
徐々に明るさを増していきます。

動ける存在は、光源に近づくでしょう。
近づきながらも、思い思いの、居心地の良い場をに
自分の居場所を求めるでしょう。

光源は、いわば、対話における目的やテーマです。
動ける存在とは、それぞれの人の持つ考えです。
あらゆる人の意見が、目的のもとに
変容し、補いあい、結びつき、重なっていきます。

動けない存在は、光源との距離や相性の中で
その存在に濃淡がついていくでしょう。

動けない存在とは現実の制約条件です。
目的に照らして重要性の高いものは
焦点を当てられ深く考えられ
そうでないものは、視界から消えていきます。

そして、最後に
明るい、ひとつの光源のもとで
夜の公園のごとく、すべてがフラットではなく
秩序、体系、構造化された結論が生まれます。


2つの光景から生まれた
対話にまつわるインスピレーションです。


しかし、夜の照明と対話の目的は
その自発性において異なります。

というわけで
このインスピレーションには限界があります。
あらゆる認識が限界を抱えているのと同じく。
だからこそ、思考は、展開、発展するのだと
考えています。





0 件のコメント:

コメントを投稿