2017年11月30日木曜日

後手は先手でもある



ファシリテーターとして
まず、場に対して受け身であろうと
しています。

機先を制して
何かを仕掛けていくのではなく
場に漂うものを吸い込み、感じ取り
それが自分の中に通った末に
吐き出されてくる展開、言葉を大切にします。

その言葉は、さほど明瞭な意味を宿さず
滑舌こそクリアにしようと努めていますが
曖昧なことを口にすることが多いです。

その明瞭に語られる曖昧さは
場に空白を生みます。

「うん?なんだそれは?」
「この話はどこへいくんだ?」

というみんなの意識が
空白に流れ込んできます。
場に変化が生じます。

それを汲み取って
また新たな展開が
自分の中に生じるのを待ちます。

ここでは
僕の言葉が生み出した場の空白が
場を揺らがせ、変化を生み出す誘因として
作用しています。

もともと
僕は場に対して
意図的に後手に回っていたのですが

そうであるがゆえに
後手から繰り出された言葉が
次の展開の先手として作用します。

機先を制しようとすると
力みが生まれ、場を硬くします。

後手でいいと、ゆったり構えていれば
場は緩み、いろんな表情を見せてくれます。
それを汲み取ってからの後手は
流れる時間の中では
先手でもあるというわけです。

後手が
場に空白を生み出し
みんなの意識をそこに集め
変化が生まれる。

そういう意味で、後手は先手でもあります。
逆に、力んだ先手は
手遅れな後手として作用するでしょう。


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