2022年2月26日土曜日

海と空がある理由は。

 昨日は山奥でラーメンを食べ

今日は海沿いでカレーを食べました。

久しぶりに海を見ました。

寄せては返す波の音、水面を吹く風の音。

水平線を押す空、空を支える水平線。

空と海が溶けあうように見える時もあるのですが

今日は、空と海がキッパリと向きあっているように見えました。

一度として、一瞬として同じ景色は見えません。

ずっと眺めていても飽きることがありません。


この空と海が、今まさに砲火を交える遠い国にもつながっていることを思い

その人たちはどんな思いで、空や海を見つめるのだろうと思いました。


今日の僕のように、ゆったり穏やかな気持ちで見つめていることは

あまりないのではないかと想像します。

もしかしたら、空も海も、視界に入らない状況かもしれません。

ただ身を守るために、ただ大切な人と生きるために

生き延びる道のありかを探し求めるのが精一杯かもしれません。


そんなことを考えているうちに

世界の人たちが共有しているのは、空や海だけでないことに思い至りました。

私たちは一人残らず、この空の下で、この海の恵みから進化してきた

生命体であるということです。


ひとりひとりの個性の違いはあれど

人種が違っても、ホモサピエンスとしての成り立ち方は

まったく同じものを互いのうちに共有してるはずです。


もしかしたら、だからこそ、海を見つめる時に

人は(全ての人ではないかもしれませんが)落ち着くのかもしれません。

波の波長が、自分の波長と同期するように感じるのは

そのせいかもしれません。


大いなる空と海に包まれて生き

そのうちには、生命体としてのまったく同じ成り立ちを持ちながら

互いの命を否定しあう世界を創り出してしまっている現実に

どう向きあえばいいのか、途方に暮れます。


生命体としての私たちが長い歴史先に存在しているのと同じく

生命体としての私たちが起こしてしまっているできごとには

長い見通しを持って、解決を諦めるわけではなく

目を逸らさず、向きあい続けることが必要なのだと思いました。


おそらく、途方に暮れるというのは、長い歴史を持つ問題に対して

その歴史の長さに比してあまりに短期の解決を望むが故に

起きる心のありようなのでしょう。


私たちが何を共有しているのか、を深く感じることが

向きあい続けるために、いちばん必要なのではないかと思います。

そのために、海と空が、世界にあるのではないかとさえ思えました。




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