2018年9月21日金曜日

答え、事実に対する、抗いがたさ



ファシリテーションにとって
大切なことは数あれど
より根幹を支えるのは
答えや事実といったものに対する姿勢
であるように思います。

ファシリテーターの「あり方」が
「やり方」よりも大切で
そのあり方を支えるのが
答えや事実に対する姿勢だと思うからです。

ファシリテーターのあり方とは
定まらなさ、未明である状態に対して
恐れではなく、可能性を持って向きあえることです。

混沌とした状態を忌避して
未知を安易な既知に回収せず
混沌を混沌として、未知を未知として
受け止めて、そこから展開する姿勢です。

このようなあり方に
どうして、答えや事実に対する姿勢が
影響するかというと。

何事についても答えを求めたり
事実として定まることを
急ぎ求めてしまうと
未知な状態に対する溜めがなくなります。

混沌として未知なことを
より速く、わかりやすく整理したくなります。
それは、可能性に満ちた未知を
安易な既知で持って整理しているに過ぎず
未知から新たな知を生み出す道を閉ざすでしょう。

しかし、私たちは
答えあること、事実として定まっていること
または、早々に綺麗に整理をつけることなどに
抗いがたい誘惑を感じます。

わからないままで向き合うことを
忌避したくなります。

または、自分を他者よりも
「知っている、わかっている存在」に
おきたくなります。

いずれも、根は同じでしょう。

自分の未知を安易に埋めるべく
権威ある知識人や経験者に頼って
権威がますます権威になり
独裁につながってしまうこともあるでしょう。

そこでは、もう、動かしか難く
答えは定まり、事実は普遍となるでしょう。

しかし、ファシリテーション が
その根底で構想するのは、そのような世界ではなく
疑うことのできない最高の答えを求めつつ
普遍の事実を求めつつ
絶えざる探求を続ける世界です。

答えとは、どこまでいっても
現時点限りにおいて妥当するものであり
妥当した瞬間に、懐疑の対象となるもの。
事実とは、最新の仮説に過ぎないもの。

そのような世界観を持って
対話の場、探求の場に臨む時
あらゆる意見を価値あるものとして傾聴でき
遠く隔たったものに刺激的なつながりを見出せる
のではないかと思います。

ファシリテーターが持っている世界観が
そのあり方を決め、そのあり方が
場のあり方を決める。

結論が出やすい会議の作り方云々といった
ファシリテーション のテクニックの数々は
そのような根源にあるものの反映が
外から観察されるだけであって
見えていないものの違いは
テクニックの上滑りを起こすでしょう。

ファシリテーションの身につけ方についても
答えや、定まった方法を求めがちなのも
やはり、抗いがたい誘惑に違いありません。
戦い続ける、もしくは
定まらないということを
面白がり続ける姿勢が必要なんだろうと思います。



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