2017年12月8日金曜日

答への欲求の起源、その先



ファシリテーションは
すでに定まった答えが存在する
という前提を持ってしまうと
硬くこわばります。

話しあいましょう、と呼びかけつつも
落着点へと誘導してしまうので。

でも、あらかじめ落着点を決め
そこに向かって誘導したいという
欲求は根深くあります。

なんでそうなるのか
その欲求の起源を遡ると
学校の勉強にたどり着くのではないでしょうか。
いや、勉強だけじゃなくて、校則とか
ルールを守ると言う活動も含めての学校かも。

僕が小学校や中学校だった頃
そして高校生であってもなお
勉強は、ひとつの答えが定まっていました。

その答えに向かって
いかに速く正確にたどり着くのかを
身につけ、競い合い、評価されていました。

動かしがたいルールがあり
そこからはみ出ないようにする
もしくは、はみ出ているのを
見つからないようにするのが日常でした。

僕の周りには
つねに、定まった答えがあったんです。

その答えにたどり着く技量が
高ければ、難関大学に合格できました。
そういう世界で生きていたことを
今になって、あらためて思います。

受験競争は
今の自分にとっては
達成感や充実感の思い出としてあり
財産のひとつであると思っています。

けれども
長く続いた、答えが定まっている世界での生活は
いつの間にか、抗いがたい、答えを与えられることへの
根深い欲求を生み出していました。

自ら答えを生み出すのではなく
定まった答えが与えられることへの
欲求が、醸成されていきました。

答えを求める欲求を持って就職し
社会という、自分の力量では
答えを掴み得ない世界で

先輩の持っている答えを
なんとか盗み取ろうと四苦八苦したり
答えが出ない苦しみから逃避したり
書店で、安易な答えを与えてくれそうな本に
手を伸ばしたり。

答えがないことに疲弊し
休日は眠るばかり、または逃避ばかり
だったかもしれません。

地域や政治や国際や
といった類のことには
いっさいの関心がありませんでした。

ただ、自分の仕事の、人生の
答えが定まらないことに不安と苛立ちを
抱えていたように思います。

今思えば
不安や苛立ちの根源は
仕事やその時の人生ではなく
それに対する捉え方だったのだとわかります。

何事にも
どこかに答えがある
という前提で、仕事や人生を眺めていて
不安になり、苛立っていました。

もしその時
答えは、自分で考え抜いて創り出せばいいのだ。
自分で無理なら、仲間を集めて
ともに考えて、答えを創り出せばいいのだ。

と思えていたならば
不安や苛立ちよりも
可能性を開く意欲が生まれていたと思います。

そして、仲間とともに考え、答えを創り出す営みこそが
地域づくりであり、政治であり、世界のあり方なのだと
気づけはずなのだと思い返します。

答えが、どこかにあるのだという
学校時代からの思い込みによって
社会に出てからの僕は不安にかられ
身近な社会への関心を持てずにいました。


答えにまつわる
根深い思い込みや欲求は
根深いだけに
世界の見え方を変えてしまうようです。

定まった答えを受け取るのだと思えば
世界は、硬くこわばり、窮屈になるでしょう。

答えをともに創り出すのだと思えば
世界は、しなやかに形を変え、開ていくでしょう。






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