2018年8月14日火曜日

受け取ったもん勝ち



成長だとか、学びだとか。
内部的な熟成の前に、外部から
異質な何かが取り込まれることが
きっかけになるはずです。

異質な何かを取り込み
それまで自分の中にあった何かと
融合したり、触発しあったりして
内部に、これまでにない何かが醸成される。

だから、思うのは
受け取ったもん勝ちだということです。

でも、よく見られるのは
押し付けたもん勝ち、みたいな場面です。

他者とのコミュニケーション場面
においての話です。

基本的には
自分にないものを発信してくれる人を
ありがたがって、異質な考えを受け取って
自分の成長につなげた方が
より深い考えを発信できる人になれるはず。
だから、受け取ったもん勝ち。

なのに、どうしても
自分の中にすでにある考えを
人に受け取ってもらおうとばかりしてしまう。
なんなら、押し付けることまでして
相手に自分の考えを受け取らせようとします。

この場合
相手に、自分の考えを持たせることは
一見できているのですが
そのコミュニケーションで生まれたのは
不満まじりの共有だけで
人としての成長、学びにつながる何かは
特に生まれていません。

または、異質な考えを
忌避し、排除したりします。

この場合も
自分の内面は、すでにあるものが強化されこそすれ
新たな成長はないでしょう。

こんなのは、損です。不毛です。
なのに、私たちは、えてして
この不毛なアプローチを採用してしまいます。

仮に、受け取ってもらいたい欲求を
満たすことを重視するとしても
だったらなおさら、受け取ってもらえるような
深みのある発信ができる成長をしなければならないでしょう。

受け取ってもらえる人になるためにこそ
受け取って成長する戦略をとらなければならない。

自己主張したいなら
主張し、わかってもらえる自己になれるよう
傾聴、受容が必要だっていう
まぁ、当たり前の話ですが。

自戒を込めて。


2018年8月9日木曜日

お地蔵様とサーファーと。


誰しも転びたくないから
バランスをとって、安定しようとします。
ここでいうバランスは
えてして、あまり動かずシャンとしてる感じ
を思い浮かべがちですが

バランスのとれた安定には
2種類あることを
思い出さないといけないと思います。

不動のバランスは
お地蔵様のバランス。

これは、依って立つところ、地面が
不動であることを前提に成り立ちます。
地面が動かないんだから
最善のバランスの取り方は
自分自身も動かないこと。

不動ならざるバランスというか
動き続けるバランスは
いわば、サーファーのバランス。

これは、依って立つところ、海面が
ランダムに揺らぎ続けることを前提にしています。
揺らいでいるところに、お地蔵様のように
不動でいようとすると、確実に沈みます。コケます。
揺らぎに共振しつつも、自分の軸を保つような
動きながら立ち続けるバランスが求められます。


ここで、唐突に、対話の場に向きあう
ファシリテーターの話に移ります。

対話の場というのは
微細な、時に、ダイナミックな
変動に満ちた場であり
いっときとして、不動な瞬間がありません。

だから、サーファーのように
その場の揺らぎに共振しつつ
その場のテーマ、軸を保つような
バランスの取り方が必要になるはずです。

ところが、どうしても
揺れ動く場に対して、お地蔵様のような
安定した立ち方を求めてしまってはいないでしょうか。

こけるのが怖いなら
安定したいなら
お地蔵様のように立つイメージから
揺らぎ続ける波の上に立つイメージに
安定のあり方そのものを変える必要があるでしょう。

しっかり立ちたいと力を入れれば入れるほど
沈没のリスクが高まるのですから。